浮けば流される 小貫の浮島観音堂むかしむかし

「快進撃」「熱狂」の語がテレビのスポーツニュースで報じられています。

RWCラグビーワールドカップにて日本が3連勝ということで大いに盛り上がっているわけですが、マスコミの吹聴を信じて踊らされるのは真っ平御免とへそ曲がりの私が思うに、浮わっついた気持ちというものには往々に冷や水を浴びせられて潰されるのではないかと・・・。

お調子にのると「流される」というのがこの世の常であるということをこれまで幾度となく経験してきたからですね。

 

テレビ番組のお手盛りハッピー感満載の盛り上げ進行は致し方ないにしろ(アゲアゲは当然でしょう)日本チームのRWCの未知の領域、ベスト8への途について、スコットランドとアイルランドが次戦で「負けたら」とか、次の試合で日本がスコットランドに「勝つか引き分ければ」などの条件をさりげなく並べ立てていますがどれもこれも難しいことばかり。

 

普通に確率的に予想すれば前回に引き続き「3勝1敗で敗退」の線が思い浮かびます。

それはそれはスコットランドを一蹴する予選トップの雄姿を見てみたいものですが、ここは7点差以内負けによるボーナスポイント狙い。それでしたら何とかベスト8入りとなります。

勿論前回苦汁を飲まされたスコットランドに勝利するに越したことはありませんがね。

ただ一つ日本に有利と言えることは日本は休養十分7日間。スコットランドといえば中3日といいますからインターバルでいえば雲泥。開催国メリットを生かして是が非でも勝ってベスト8を引き寄せていただきたい。

ここで日本のラグビーブームに火が付くのかシラケて冷徹の結果になるか瀬戸際ですね。

10月13日(日)夜はテレビに釘付けです。

 

テレビ小僧といえば昨晩はショッキングな番組NHK「大廃業時代」を視聴しました。

中小企業廃業予備軍31万社、「5社に1社」という数字は驚愕。人口減少による地域全体の地盤沈下には到底対応できないという現実があるようです。叔父が以前言っていた「頑張れば頑張るほど傷口が広がる・・・(早い決断)」そのものです。融資している金融機関も同様のリスクを抱えているそうで、早く諦めることが肝要であることを勧めるといいます。「頑張るな」ということですね。承継するか廃業するかの選択を「はやく」ということですがそれを「新陳代謝」とキレイな言葉を使って「悪いことではない」風に言う専門家がいました。

 

要は「淘汰」ですよね。おそろしい時代となりました。おそらくお国の政策もその新陳代謝・・・淘汰なのでしょうね。むしろ「人口減少」に「はやく」手を打って欲しかったと悔やまれるばかりです。この期に及んで防衛費を突出させて憲法イジリばかり口にする宰相殿にうんざりさせられます。

中小企業こそが日本の技術産業を支えてきたという事実を忘れてはいけません。地方の産業を見捨て一部大手のみを存続さて何の新陳代謝といわれるのでしょうか。職を失った者たちはその大なるものに吸収されて万歳? まさか・・・
人口減少と地域産業を守ることこそ喫緊の課題かと思うのですが。
その件、昨日のお斎でも出ましたが「お寺の存続」についても同様です。
「コンビニストアよりも多い」といわれる神社仏閣もこれからどんどん淘汰の時代が来るといいます。
私も仙人の如くの生活それも独りきりであれば何とかなりそうですが、問題は私には家族は勿論の事、引き継いだモノが「有る」ということ。
「有無同然」という言葉がありますね。
私が引き継いだ一番に大きなものといえば本堂です。
「古くて大きくて素晴らしい」とは人様に囃され、私も大いに嬉しい言葉であると受け止めていますが、その維持に関して今後の事を考えるとその先は見えてきません。
人口減少、檀家さんの不在、有力有徳人の消失に拍車がかかる現代にあって「持続可能の未来」など地方の弱小寺院にあるワケもなく。
「早く廃業することが肝要」とはいうもののではどのタイミングがベストか模索しつつ「その時はその時・・・」とあっけらかんに「阿弥陀さんにおまかせ」を決め込むだけですね。
さて、流されるといえば先日は海中、土中から出現した梵鐘に仏像など記しましたが掛川市の小貫という地に浮島堂と呼ばれる観音堂があります。
小貫といえば日本酒の「高天神」や「開運」でお馴染みの土井酒造がありますね。
お堂の位置は酒造と直線で200mもないくらいの位置になりますが遠州特有の舌状台地の細長く伸びた谷あいという立地(場所はこちら)となります。
近くには川の存在はないに等しいのですがこの浮島堂の「浮島」たる由縁はかつての洪水・冠水によってこちらにあった松の木がポツンと浮かんだように立っていたことからだといいます。
その松の木に上流より? 流されてきた観音菩薩仏像が引っ掛かっているのが見つかってから以来祠を建ててその仏像を地区の要として奉ってきた歴史があります。
各地にそういった「流された」仏さん伝説は残っているようですが、歴史の中で戦場等の人災や自然災害で流出し、新たに次の崇敬を集める仏像の存在もまた珍しき奇特と感じます。
拙寺の仏さんもどこかに流されたとしても新たな崇敬を集められるとすればそれもまた機縁、有難いこととして受け止めなくては。
新陳代謝といわれるのは腹が立ちますがね。
①浮島堂背後の左側の山が高天神六砦の一つ能ケ坂砦
堂の左隅奥①⑦⑧にあるのが常夜灯。⑤⑥⑦地蔵堂。
⑨は歌碑。
仏像は年一回の公開とのこと。
尚、仏像の引っかかっていたといわれる松は既に倒壊して今は失われています。
私がこちらにいた僅かな時間にもお参りの方が訪れていました。地区の子供たちの遊び場で地元の中心地だったのでしょうね。
以前は月一回の寄合もあったようで徐々に人が集まらなくなったといいます。
屋根を塗りなおしたばかりとのことですがこのコンパクトな堂でさえも維持は大変の様。