人のはからい多様 梵鐘も海からあがる 小島蕉園 

台風18号は日本海に出て温帯低気圧になったワケですが寒冷前線なる触手の如く伸ばした乱気流を伴った前線を発声させてこちら遠州においてもその通過の際にまとまった降雨がありました。それはまるで小さな嵐の如くの強さで安眠を大いに妨害しました。

風は残ったものの夜明けとともに晴れ間も出てきて、午後には30℃にはなったでしょうか。おかげさまで東京からのお客さんを無事に迎えることができました。

 

今回の日本海に抜けた台風に向かって吹き込む太平洋側からの暖かい空気は線状降水帯となって四国地方に激しい雨を降らし冠水をもたらしている様子をニュースで見ました。

今のところ私の記憶では身の回りであれほどの洪水や冠水を体験したことがありませんが、最近の各地災害事案を目の当たりにして歴史上記録に残らないそれら人々の苦悶の数多があったことを想像します。

 

最近の台風は温暖化によってパワーアップしているとはいえ台風という空気の渦巻きは夏期に自然発生することはどの時代も同じですからね。

治水技術が未熟な時代で尚人々は低地耕作が有利な稲作を主たる生業にしている時代(当然に河川に近い場所が生活の場)ですからそのリスクとは常に隣り合わせでした。

 

よって人馬家畜から家屋は下流に流され最終的に海に辿り着くというのは無常を感じずにはいられませんが、やはり仏教的な比喩・・・当流「正信偈」でいえば本願海・・・群生海・・・如衆水入海一味・・・功徳大宝海・・・本願大智海・・そしてご和讃の「生死大海の船筏」等々「海」の登場に「いのち」集積の場、月並みですが「母なる海」をも思います。

余計なことを記しますが二人の息子の名に「海」の字を拝借したのはそういったところからでした。

 

また拙寺には海から出てきたという「海の如来」さんがおわしますし江戸期には「海舩役寺」なるお役にもいただいていたようでこの寺にとって「海」は切っても切れないご縁があるのでしょうね。山号は「釘ケ浦」駿河湾当地沿岸の地名からとった「釘浦山―ていほざん」です。

 

さて遠州川崎の明照寺には拙寺の阿弥陀さん同様「海から出た」梵鐘が伝わるようです。

さすがに梵鐘ともなると少々の驚きがありますが・・・

その件、小島蕉園の「蕉園渉筆」に記されています。

ほんの短い文章でまた、わかりやすい・・・。

 

 

蕉園渉筆83

  川崎明照寺 鐘昔網之海中 

  初無銘 近時俗僧新銘之 

  大失古色 文亦拙劣可厭

 

 「川崎明照寺の鐘は昔海中にて之を網す

 初め銘無し 近時、俗僧(宗徒も僧も)新たに之を銘す

 大いに古色(よき音色)を失う 文亦拙劣 厭うべし」

 

詳細まったく不明です。

「昔」がいつ頃のことか、現在の鐘がその鐘なのか金属類回収令で供出を免れたのか・・・

小島蕉園がその音を実際に聞いたのか他者の話を元に記したのかも不明です。

 

要は「万事余計な手を加えると往々にして台無しになる」ということかとは思いますが、それにしても梵鐘にちょっとした銘を追記したところで音色が変わるものなのか・・・不思議な記述です。それとも何か別の意図があったのでしょうか・・・小島蕉園の「蕉園渉筆」には辛口の評価は少なくありませんが。

 

画像は赤穂周辺の寺院における「昭和の寺院大災難」、金属類供出について調査されている方の資料から拝借しました。以前頂戴したものです。

その地でただ1ケ寺、慈眼寺の梵鐘が残った奇特について記してありました。

 

以下記述

相生市の文化財指定、慈眼寺の梵鐘(鐘には「作州長岡庄~岡山県久米郡~上福寺鐘也 大願主中興開山 知賢上人 文明九年(1477)丁酉十一月十五日 大工藤原右兵衛尉助弘」と銘文)

此の鐘は中世の朝鮮鐘としては二例しかない貴重な存在である。この鐘は何時の頃からか上福寺より消え去り行方知れずとなっていたが、英田郡土居村(現岡山県英田郡作東町土居)の土居八幡宮にあることがわかった。

その経緯等については知る由もないが、鐘についている鍬の痕跡らしきものや乳が欠落している等から、戦国時代陣中で陣鐘として使用されていたものか、或いはこれを避けて土中に埋め隠し持っていたものではないかといわれている~文明九年(1477)製の、慈眼寺の梵鐘が、なぜ金属供出を免れて現存するのか、不思議である。再度、土中に埋めて難を逃れたのか・・・~

とありました。

 

鋤・鍬らしきものの痕跡があり、また梵鐘の「乳」の部分が1つ落ちていることが「土中に隠したから」の推論ですが「梵鐘は土の中から出てくる事もある?」ということがあったことが興味深いところ。

 

海中よりは断然土中の方が真実味がありますね・・・あの国宝金印も畑の中からでしたが・・・

「海から出て来る」ことにやはり格別のありがたみがあると人は感じるのでしょう。「蕉園渉筆」の記述は別として・・・