陣台山の墓石から満徳寺へ 中泉代官林鶴梁母林鶴

昨日の法要は御門徒さん自宅御内佛前から。

最近のパターン、本堂主体のものとは逆でした。

どちらかブログでも記していますが、ここ相良でも海岸に近い地でエアコンの設置がないお宅がまだまだあること、その件は承知していましたが、その日も扇風機三台のフル回転でした。

コンディションとしては・・・まぁ「苦笑い」。

お内仏のローソクが吹き消されてからの再点火、結構ハラハラしながらのお勤めでした。

 

参列の親類の方からその件(エアコン)について話があがりましたが、施主は「海風で結構涼しい」と。

「熱帯夜は眠れる?」との問いには「暑くて目を覚ます」とのようでした。

快適な睡眠が得られた方がベストであるとは思いましたが。

私の方は今年一番の大汗でしたが、淡々と声明するのみ。

終わった後が気持ちいい。

 

終了後、磐田方面へ。

帰宅してスグに6万キロ走った車のバッテリーが相当へたばっていましたので交換しました。

数年前の冬にセルの様子が悪くなったために新品を購入していたものですが、その後復調したことと交換をサボったためにこれまでダマしダマし引っ張っていました。

 

その新品の方も「ひょっとすると・・・」の不安がありましたが難なくスタートできました。奥方も怪訝そうでしたが・・・。

「バッテリー売り場のバッテリーは店頭に長く放置してあるだろ・・・」と私。

大した仕事ではありませんでしたがここでも大汗でした。

走行後のエンジンルームは熱い・・・。

 

磐田への行脚はこれまで頭の片隅にあった「エピタフ」について手掛かりを得たいと思いました。

それが明治二十三年八月三日に亡くなった浄川香雲之妻俗名「きの」です。野村家の人ですね。

明治二十三年に二十八歳で亡くなった「きの」さんは推測するに「豊田(磐田)の浄川(清川)香雲」に嫁いだものの病気(当時遠州はコレラがまん延)の療養のため実家相良へ。

そして当地で亡くなって陣台山墓地に埋葬されたということでしょう。

 

数年前の陣台山墓地整備の際、初めてお会いしたもので何度か調査に入りましたが遺骨は出てきませんでした。

しかしこの墓碑銘は故人の情報が比較的ハッキリ記されていましたし拙寺の過去帳にもこの人の記入がありましたのでその人のことはずっと気にはなっていました。

 

ということでその満徳寺に行って「清川」について聞いてみようと思いついたワケです。

突然の来訪に対応いただきましたが、その「キヨカワ」については「知らない」とのこと。

早くも頓挫してしまったのでしたが、私の突撃訪問は不躾でした。

アロハシャツにチャラい恰好は法事が終わってのフルオープン全快でしたがお寺さんからも怪訝の目で見られたのでしょう。

勿論私も同派の寺であるという自己紹介は怠っていましたが。

 

「キヨカワ」を思いつきで記せば「清河八郎」ですが・・・突飛。尚「清川香雲」の名は明治期学僧で1件ヒットはしますが。

 

まぁ、こちらの墓域に紹介があった中泉の代官林鶴梁の母林鶴のお墓がありましたからお参りして帰ってきました(場所はこちら)。安政の大地震による震災復興に尽力した人です。 

 

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コメント: 7
  • #1

    小山昭治 (火曜日, 06 8月 2019 08:44)

    先日は野村君の来訪にびっくり!!
    似た人がいるなー でも こんな時間にいるわけがない。
    でもそうでした。野村家は奥が深いですね。

    当家も寝るときはエアコン無し。
    扇風機のみ。
    アルコール無しで寝ると、さほどの暑さを感じませんね。
    よく寝ているようです。
    静かに横になっていると風を感じます。
    今年こそエアコンを入れてくれると思っていますが
    どうやら無しのようです。

  • #2

    野村幸一 (火曜日, 06 8月 2019 18:31)

    小山さんとは初めてお会いしましたが、なんか懐かしい感じを覚えました。今はほとんど相良に野村家の人間がいませんが地元なのだなと感じます。という私の生まれ育ちは富士宮なんですが…

    ご住職と陣台山墓地から身内の墓碑を引き取りに行ったのですが、重いもんですね!墓石は!!

  • #3

    今井一光 (火曜日, 06 8月 2019 19:56)

    ありがとうございます。
    私どもは熱帯夜当たり前の沖縄で生活していたため起床時の朦朧としたドロドロ感はむしろ
    懐かしく思いますが、最近はその文明の利器は人間を堕落させたのか心地よすぎるくらいの快眠をもたらしますね。ここのところお世話になるようになりました。
    以前はエアコン+居眠りは風邪を警戒したものですが今のところ失敗はありません。
    電気代の方は覚悟しています。


    野村氏は新幹線とバスを乗り継いで炎天下徒歩で陣台山墓地とお寺を往来し挙句、大きくはないものの墓石3棹を境内退避を手伝っていただきました。墓石への思いが深いところは私と同様ですね。

    墓石泥棒のコンビかも。








  • #4

    がつお (火曜日, 06 8月 2019 21:22)

    そのままで検索するともう1件でてきますが既にご覧になられているでしょうか。
    国文研の近代書誌・近代画像データベースの「欧米の仏教」という書誌ですがその編集人として浄川香雲という名前があります。
    画像は同書のうち一部しかありませんが、5枚目の画像には
    明治24年4月8日出版
    著述者 静岡縣平民 浄川香雲
    とあります。
    そこに寄留地も記載されており京都市下京鷲尾町廿六番戸となっていて、この書籍の出版元の朝陽館仮本部と同一です。
    詳細は分かりませんが、この書籍名で検索すると明治前期の大谷派教団という本がヒットしますのでこの出版社は本願寺関係ではないかと思われます。
    もし、同一人ということであれば「きの」さんが亡くなった後京都(本願寺の本拠)に行きそこで欧米への布教活動に力を入れていたのでしょうか。
    先の清川でヒットする論文も本願寺の清国での布教の内容みたいですので、この方はもともと外国への布教に力を入れていた人物ということになるのでしょうか。
    参考までに。

  • #5

    今井一光 (火曜日, 06 8月 2019 21:54)

    ありがとうございます。
    「浄川」の方では検索していませんでした。
    驚きました。
    まずビンゴのような気がしますが・・・
    満徳寺さんが「知らない」と仰ったのは・・・

    それでも検索により東本願寺の明治維新からの苦しい立場があらためて
    知ることができました。

  • #6

    野村幸一 (火曜日, 06 8月 2019 23:55)

    そういう本があるんですね!どんな人物か掘り下げてみたくなりました。

  • #7

    今井一光 (火曜日, 06 8月 2019 23:59)

    ありがとうございます。
    がつおさん凄いですね。
    野村さんも目標ができて良かったです。
    要再調査ですね。