「奇妙なり八郎」清河八郎の墓 彰義隊シンポジウム

そうイイお天気とは言えませんが遠州はかなり暖かです。

風がないというのが一番うれしいことですね。

ここ1週間程度は気温高めのご褒美が味わえそうで大いに満足。

 

昨日は報恩講前の恒例「お磨き」。

新町地区の皆さん14名が集まって仏具磨きに励んでいただきました。

今週末に報恩講を迎えますがこの1年もあっという間に過ぎてしまいました。いやはや時の流れに抗うことはできませんね。

 

さて、先日記した伝通院、そして清河八郎。

表記、「奇妙なり八郎」は司馬遼太郎の小説のタイトルですが、そのタイトル通り清河八郎は「奇妙」というか相当変わった男でした。

出羽国清川村(山形県庄内町―庄内藩)と江戸とは離れた地に於いて当時武士の本流となっていた「攘夷と尊王」をセットにした思想にのちの大勢がそれを「倒幕」というカタチに昇華した突然変異の道筋をまるでハナから倒幕思想を持ちあわせていたが如くそれを心に秘めて急先鋒渦巻く江戸―京都に上った金持ちのボンボン・・・といった感じ。

時期的には江戸市中で進行していた各事案(井伊直弼からみ)に影響されたと見るのがスジでしょうが。

 

尊王攘夷+なぜか倒幕などの大義は一般の人からすれば自ら人生にまったく関係ない事象といえなくもない事ではあります。

それを財力をベースにその頭の良さと弁舌の美味さ、人を惹きつける力もあったのでしょう私塾の開設まで行って「倒幕」を隠し主に「攘夷」をうたって多くの人を集めたのでした。

山岡鉄舟に石坂周造、松岡万なども合流(虎尾の会)していたといいますので余程の力量があったのでしょうね。

 

清河のその行動力がやはり結果的に倒幕へと繋がったのかも知れませんが(彼の死後、明治政府から一定の評価)、京都上洛後スグにその「尊攘」(そして本心「倒幕」)を表して佐幕派からは総スカンを喰って分裂。幕府からも要注意人物としてマークされることになりました。

京都に残ったグループが新選組に発展したことは先日記しました。

 

江戸に戻った清河八郎は麻布の赤羽橋で斬られますが彼を斬ったのが会津藩お馴染みの佐々木只三郎ら。

京都見廻り組、今井信郎と近江屋にて「坂本竜馬を斬った男」でもあります。

 

こちらは有名な話ですが赤羽橋にて清河が斬られた報を聞いた山岡鉄舟は石坂周造に走らせ首を切り落として持ち戻ります。

この本意は彼の懐にあった連盟状を取り戻す事だったといいますね。

書状が表に出るということは山岡ファミリーは勿論、攘夷派の面々の名が記されていましたので幕府から追われるハメになるということでしょうか。

首は山岡英子(鉄舟の妻)が保管し伝通院に葬ってのちに遺族に渡したといいます。

画像は伝通院の清河八郎と獄死した妻、阿連の墓。

 

どこかでも記していますが、拙寺先祖は徳川様のおかげで今があるというところ。

幕末の騒乱期はおそらく寺と言う立場とわが身可愛さの中、忸怩たる思いで明治期を迎えたと思います。

「強い主張」などして目立てばたちどころに反意を持った者から恨みを買う時代ですし。

 

きっと東海道と離れた田舎町(相良)で息をひそめていたのでしょう。

また私の奥方の母方は会津藩中の商家出身。

縁あってその残り少ない資産をこの貧乏寺に資してくれています。

そういうこともあって、どうしても「負け組」ではありますが「佐幕」という語には心地よさを感じますね。

 

このほど

「彰義隊の上野戦争-明治150年に考える」と題したシンポジウムが開催されるとのこと。

彰義隊の「高貴なる敗北(Nobility of Failure/I. Morris)」についての講演は実に興味がありますね。

 

期 日:2018年12月1日(土曜)

時 間:午後2時~午後5時半(開場・受付は午後1時から)

会 場:東京大学大講堂(安田講堂)

       東京都文京区 本郷7−3−1

交 通:東京メトロ南北線「東大前」

   丸ノ内線・都営大江戸線「本郷三丁目」下車

入場料:2,000円(全席自由・先着順・当日払、中学生以下無料)定 員:1,100名