能令速満足つづき 「能令瓦礫変成金」はもっと凄い

ドカ雨の翌日はドPカンのスカッ晴れで度肝を抜かされました。

法事の予定がありましたので朝からこのうえなく安堵させられましたがこの「まさか」の反転・好転はうれしい驚きです。

 

先日の雨の新城の宇連ダムの渇水状況(5/22ブログ)について記していましたが、それが解消に至らず、いよいよカラカラになったのニュースがあったものの、おそらく今度のドカ雨によって息をついだのではないでしょうか。

これからずっと雨が続きますので渇水傾向とはいってもどうってことはないでしょうね。

 

とにかく昨日は終日絶妙の好天につき14時30分からの史跡研究会の会合のあと17時30分~19時過ぎまで1万歩を目途に散歩に。

雨降りの外歩きは出来ませんのでこの日を逃すと次についてはかなり怪しくなりますからね。

 

史跡研究会がお開きになった際、「令」の字の二つの意が記された小島蕉園の掛け軸を皆さんへの紹介を兼ねて見させていただきました。

これは「6月いっぱい、ブラさげといて」と資料館の長谷川氏に頼み込んでいたものです。

説明書きのほか、史料館所有の「大澤寺八景の一」と蕉園像の軸も「特別展示」と銘打って並べられていました。

やはりあの手の代物はガラスケースの中に掛けられているとサマになりますね。嬉しいかぎりです。

色々な人に「210円握りしめて史料館にGO !」と宣伝していますが・・・

 

さて、いいお天気といい、掛け軸の展示といい歓喜踊躍」するほどのうれしいことばかりの一日でしたが、昨日ブログでは東本願寺「大寝殿」の竹内栖鳳が描いた雀たちを記していました。

また何故にしてウグイスやホトトギスに鶴、ましてミソサザエ(鷦鷯-仁徳天皇)や鷹・鷲などの勇壮な鳥ではなく「雀」なのかの理由について、あまりにも人の近くにいてそう見栄えのする鳥ではないと。

しかし彼らには躍動、生命観が溢れているよう見えますが。

その後者の意「生きることの必死さ」から画材に採用されているのかも知れません。

 

要は人々から見向きもされないどうでもいい鳥ということですがいのちの発散があるということでしょうか。

それを(五木寛之「親鸞」でもお馴染みになりましたが)

「いし・かはら・つぶてのごとくなるわれらなり」という親鸞聖人が注釈をつけた「唯信鈔文意」(能令瓦礫変成金)に見ることができます。

また難しい表現ですがその石ころ・ガラの部類のことを「具縛の凡愚、屠沽の下類」(ぐばくのぼんぐ・とこのげるい)などと言われます。

屠沽」の「屠」は「生きものを殺し食べる・・・」、「沽」は「よろずのものを売り、買う」こと。

それぞれ同類「悪」と断じられ蔑まれた職に従事するといわれた人たち(=私たち あるいは「必死に生きる者」)のことでそれまでの仏教では浄土往生などあり得ない、見捨てられた人のことです。

ラクに障りもなく生きている者のみのお浄土があったわけでした。よってこちらの件がいわゆる当流「悪人正機」。

 

「能令~」といえば先日記した「能令速満足」の通り、本願他力の功徳を「よく(能く)あらわす」パターンですがその「能令瓦礫変成金」(のうりょうがりゃくへんじょうこん)の言い回しはやはり「凄いんです !」のさらなる驚嘆を示す語。

何せその石瓦礫を金にしてしまうというのですから。

 

それではそこの一節を。

『「能令瓦礫変成金」といふは、「能」はよくといふ、

「令」はせしむといふ、「瓦」はかはらといふ、「礫」はつぶてといふ。

「変成金」は、「変成」はかへなすといふ、「金」はこがねといふ。かはら・つぶてをこがねにかへなさしめんがごとしとたとへたまへるなり。

れふし(漁師)・あき人(商人)、さまざまのものはみな、いし・かはら・つぶてのごとくなるわれらなり。

 

如来の御ちかひをふたごころなく信楽すれば、摂取のひかりのなかにをさめとられまゐらせて、かならず大涅槃のさとりをひらかしめたまふは、すなはちれふし、あき人などは、いし・かはら・つぶてなんどを、よくこがねとなさしめんがごとしとたとへたまへるなり。

 

摂取のひかりと申すは、阿弥陀仏の御こころにをさめとりたまふゆゑなり~~。』

 

経典からは『「令」は「せしむ」』と。当流「他力」というところで・・・

 

①②は真宗聖典P553 「唯信鈔文意」から。

③は大江の東中橋萩間川沿いからの石灰山。南無阿弥陀仏。

往復しても1万歩に届きませんでした。