まだ慣れず!  令はつい「りょう」読みのクセ

GW初日ということでこの日を指定した法事がありました。

地元静岡各地から山梨県、神奈川県と多方面からの参拝者がありました。

施主はGW関係なしでむしろ平日の方が都合が良いという仕事の方でしたが他の大部分の方たちのためにこの日を選んだそう。

やはり「10連休」を謳歌している方もいらっしゃいました。

 

さて、先日突然に「決まりました」と公開された「令和」の名称。これから数年も付き合えば慣れてくるだろうとは思いますが今のところあの「令」は「りょう」と発音したくなります。どうしても「れい」読みは違和感がありますね。

たとえばその「令」を故人の法名に使用するとすれば絶対に「りょう」読みしか考えられません。

 

以前もその件記したとき日本史的には「律令」がありますし、「りょう」読みで「りつりょう」。

また検非違使・押領使・追捕使・按察使(あぜち)など「使」付き官位はじめ、関白や征夷大将軍などなど一括りにいうその「令外官」(りょうげのかん)・・・称号も「りょう」読みです。

どうも「れい」読みは・・・というところです。

 

そして、特に私が日頃から馴染んでいる「願生偈」(『無量寿経優婆提舎願生偈』~天親菩薩~から)に登場する「令」なども「りょう」読み当然の事でありますので今後私は勝手に「りょうわ」で行こうと思っています。

そもそもそれを口に出して発する機会はまずありませんので。

言葉の読みの変遷は結構にイイ加減なものですしね。

 

その願生偈の件ですが、私は特別に一番の好みのフレーズは「功徳大宝海」のところ。

これは正信偈にも「帰入功徳大宝海」とありますね。勿論親鸞さんが「願生偈」から引っ張ってきたものです。

 

名号功徳の広大無辺のところを一言で記す部分ですが、「宝海」の感覚がいかにもイカしています。

煩悩具足凡夫の雑多な「はからい」をもって漫然と生きている身にはそのセンスにハッとさせられます。

要は「宝」を金銀財宝とはき違えている身にとっては新鮮でしょう。そこが「気づかない」というのは勿体ない。

 

沖縄にいう「命どぅ宝(ぬちどぅたから」の如く語は、仏教でいう「人として生まれてきた」意義同様で、本当に大切なこと、転じて「極楽浄土は今」という発想に通ずるものがありますね。

ちなみにその次に「すばらしいこと」が「仏法を聞けたこと」でした。よってその歓びが前面に出てくる箇所です。

 

その願生偈の「功徳大宝海」の直前にある文句が「能令速満足」(のうりょうそくまんぞく)でした。

頻繁に口に出してその語を発音している身としては今更「れい」読みを強いられてもムリですね。

 

ちなみにこの「能令速満足」の語が大いに気に入って明治期に名前をそっくり「能令速満」に変えてしまったお西の僧侶がいました(延福寺)。

能令さん」ですがそうなると「れい」読みもあるようです。要は「読み」はどうでもイイということか。

画像墓碑「功徳大寶海」は「南無阿弥陀仏」の別バージョン。小山一統の墓碑銘ですが筋金入りの御門徒の気概を感じます。