朝露、草露、霜柱 靴の中は大変 一乗谷

息子は今節に至り就職、いわゆる「社会人」と本人自負するにまで相成りました。

そんな中彼の話によるとその友人で既に離職、再就職したという人も少なくないとのこと。

 

今のところ彼は予想に反してなんとか気合の入っている様子を見せつけて日々励んでいるようではありますが、この季節といえば「五月病」なる「自己不適応」の精神状態に陥るパターンがあると言いますのでここは踏ん張って社会の洗練というものを潔く受け入れ、何とかモノにして欲しいと思うのが切なるところ。

 

ちなみに彼もGWなどいうお役人・サラリーマンお約束のお楽しみというものには縁ナシです。

適当に疲れて日々自宅と職場の往復に明け暮れているようで一見したところでは真面目に仕事に向かっているようです。

昨晩あたりの若者の大騒ぎをテレビで見て、「あの手の者たちとはちょいと毛色が違うかも・・・」と少々の安堵を得たのでした。

まだまだ息子への信頼性など半信半疑で、将来のことなどどうなることかなど分かりはしませんが、とりあえずはスタートとして上々のところのようで親として安心に至っています。

 

檀家さんでかつ息子の同級生について以前、銀行と証券2社とも内定をもらったものの文句なしで証券を選択したと聞いていました。

将来性を考えるにあたり、もはや銀行業に優位を感じないということでしたね。かつての安定第一の職種でした。

 

すると昨日のニュースに「10年後に地方銀行の6割赤字 日銀試算」という見出しがありました。

日銀のレポートですから過大なものではないでしょうしそれにしても一種の自虐ネタにも感じられました。

素人目にも長期にわたる低金利政策の継続から当然の帰結を思いますね。今後その世界では淘汰・統合が増えるのでしょうね。

 

まぁお寺も「10年後」の取り巻く環境は同じようなもの。

他人様の惨状をどうこう評価できる立場にはありません。

それだけに息子がうまいことやっているという報せにはついつい笑みがこぼれてしまいます。

 

それにしても「腹立つ~」ともごもご言いながら奥方が帰宅したのは役場が閉まっていたということからです。

御前崎も相良もだといいます(私は留守番)。

役所の人も「連休とりたい」というのはわかりますのでなだめておきました。しかし3日は「ブラ田沼」催行日ですから、市の担当者は駆り出されるのでしょうね。

 

奥方はその休日についてプリプリしながら4月号の広報冊子を取り出して確認していましたが、「だいたいこの冊子(4月号)は一昨日来たもので遅すぎる」とさらに怒っていました。

それは地区配布の問題ですから致し方ないにしろ昨日やってきた奥の細道氏のご指摘では「そもそも旗日ですよ」とのことでした。

私どものカレンダーにはそんなことは記されていませんでしたからね。知らないのは私どもだけでしょうが。

 

さて先日の一乗谷の件、私が到着したのは午前5時。

よってひと休みしてからの散策開始でした。

相良を午前1時に出て「のんびり北陸道」のつもりで向かいましたが到着時はまだ暗がりうっすらのトワイライトゾーン。

あの頃の5時はそんなものでしたがこれは予定通りの行程です。

基本遠地へ向かう際にかなり余裕をもっての行動になるのは途中、渋滞にハマることだけは避けたいからですね。

 

しかしながら視界が明瞭でないというのは散策探訪には不向きです。

こちらは一乗川が侵食した谷あいの地。一乗城側山地から昇る太陽は平地よりもかなり遅いのです。

私が行ったばかりのあの谷はいたって幻想的、霞が深く垂れ込んでいました。

 

まだ開館していない史料館を横目にしてその谷あいに進入するのですが一乗城に取り付くにはまだ薄暗さがあったため最初の目的は墓地歩きとしました。

一乗川を隔てた(一乗城の向かい側)エリアは各寺院の建立があった場所で墓地エリアでもあります。

 

そしてその辺りは削平された平坦な場所に見えますがまだしっかりした発掘作業が行われていないよう。

信長に焼き払われたのち、山からの土砂流入によってかなりの土砂の堆積からの削平と思われますので、掘れば石仏等の発掘が期待できるような場所。

 

ただそちらをブラっと歩くことも楽しみの一つでしたが、柔らかい水分を含んだ土にはところどころ霜まで降りて本来の道を外れて歩けば靴の中は水浸し。

何しろこの谷は水には苦労することは無かったような地ですね。画像③④⑤川の東側が本城「一乗城」でその下が屋形、一門屋敷群。川を隔てた対面が寺・武家屋敷そして町人の住まいがひしめき合っていたのでしょう。