躑躅ケ崎館の武田信玄の便所は六畳畳敷き 沈思黙考

「世界健康な国ランキング」なるものがあったようです(ブルームバーグ)。

どうしても「健康」という言葉に反応してしまう私はそれをチェックせずにはいられませんでした。

何をポイントにし基準としてそのランクを付けたのかはわかりませんがとりあえず日本は世界で4番目の健康度であると記されています。

 

なにかと健康ブームといわれるようにその志向に鋭敏になっている日本人が「1番に健康」と言われても不思議ではありませんでしたから、内心「そんなものか」とも思ったところでした。

 

ちなみに1番がスペインに2番がイタリア3番がアイスランドでした。5位から続けてスイス、スウェーデン、オーストラリア、 シンガポール、ノルウェーです。

ざっと見て「欧州の知的」を思いますがそれらは健康というものを意識して生活しているかもともとの環境と食生活にあるのでしょうね。

 

昨晩のNHK偉人たちの健康診断」は武田信玄でした。

その番組のあとの「名古屋城」と「ヒストリア」の歴史ニュースランキング、ずっとNHK三昧。

ちなみにヒストリアのランキングで駿府城金箔瓦が2位。

1位が大山(だいせん)古墳の宮内庁調査の件でした。

 

「健康診断」での「山梨県は日本で一番日照時間が長い」というのは驚きでしたね。比較的高所で紫外線が強いというのもありそれが健康に左右しているとの示唆。

要は甲斐の人はビタミンDの欠乏にはなりにくかった・・・であり

これは「筋肉と骨が強かった」ということを物語っています。

歴戦の勇士武田信玄が甲斐軍団を率いて各地を転戦し、領地を拡大していったそのパワーだったのかも知れません。

 

現代人は室内生活が長くシミだの皺が怖い、美白だ夏は嫌いなどを言いながら日光にはできるだけあたらないようにする風潮が当然の如く蔓延していますがきっと私はコレにその健康のポイントが隠れているのかと合点した次第です。

 

健康度ランキングで1位と2位は南欧。光が溢れていることはわかります。

しかし3位のアイスランドほか北欧の健康度が高いのはそもそもそのビタミンDの欠乏が人の健康度にかなりの影響度があることを熟知し、国レベルでもその不可欠が致命的であることを国民に対して知らせているからですね。

彼らの休暇と言えば南欧やどこかの島に行って思い切り日光浴をしている姿を思い浮かべます。

 

厚生労働省が「そのビタミンの重要性」について強く訴えるシーンは遭遇したことがありませんね。

その件、日本国内教育機関などで、「不健康な美白ブームと室内遊びはやめちまえ」と訴えてそのビタミンの重要性を主張してくれれば早いうちに1位になれることはまず間違いないでしょう。

 

ガラス越しの紫外線はカットされてしまいますから無意味です。要は外歩き、ポイントは露出する面積を増やすことですね。

私が寺に入って最近「不健康」を思うのはあまり日焼けしなくなったということ。これでは筋力も落ち骨の維持ができないワケです。

 

番組ではビタミンDを効率よく摂取できるものは日光浴以外で食べ物を挙げていました。①魚②きのこ③卵です。

山梨県は寿司屋の多さも一番というのにも驚きましたが甲州人は魚食によってビタミンDを摂取していたといいます。

 

海なし県の山梨、甲州人が魚好きというものは「魚尻」がポイントと。それ内陸へ生の海魚を運ぶための限界範囲 「魚尻線」をいいます。魚を腐らせることなく運び「生で食べられる」エリアの限界線のこと。

甲府はそのラインに入っていたとのことでその運搬道が駿州往還(甲州往還)ですね。

まさか真夏の猛暑に生魚を運ぶことは無いにしろさすがに希少価値は高かったでしょう(「海のない地域に残る海魚の食文化」山梨県県立博物館学芸員植月学氏)。

相良の「馬鮫魚(鰆)菰塩」の如く塩で処理することもあったでしょうが・・・

 

またその馬鮫魚の蕉園の父、唐衣橘洲や朱楽菅江とともに「狂歌三大家」といわれた太田南畝の記述も番組で紹介されていました。それが

「甲州のウズラは信玄に痛めつけられたために泣かない」というものですが、信玄はウズラの卵を好んで食べていたのかも。

きのこは甲州では当たり前のように食されていたことは当然の事でしょうからね。

 

53歳の信玄の死は鉄砲で撃たれた傷が原因だったとはいわれていますが番組では死因について胃癌を指摘していました。

 

小和田先生の番組に登場しての一言は「信玄は心配性」だったかも・・・でしたがそういえば勇猛果敢のイメージがする信玄でしたが城攻めには必ず占いをするくらい慎重(運気の書)でしたね。

 

死の直前に「口の中のできものと歯が5~6本抜けた」という記述があってそれから病名を推測していました。

死の6年前に「膈」(かく)という病であると医師に指摘されたと信玄自身が言っていることもありますが、現代の医師によれば顎などの骨に胃癌が転移すれば歯は落ちるだろうと。 

信玄はその「膈」の原因は自ら「心労が積もったせい」であると分析しているようでした。

心配りにあけくれた御屋形様の姿ですね。

 

ストレスからの胃癌、大いにあり得ることです。

現代人の胃癌発症のメカニズムにも当てはまります。

水源ピロリ菌の存在の指摘もありましたが、古い時代の飲料としての水を塩素殺菌するという習慣はありませんでしたからね。

 

特に今回の番組一番に尺を取っていたのが信玄のリラックスエリアは躑躅ヶ崎館の便所の件。

「蓋の上に書面を置くと御閑所(信玄だけの便所)の中でご判断、御決裁」されるとの文書が紹介されていました。

ちなみにその「御閑所」は畳敷畳で香炉が置いてあり日に3回伽羅を焚くことになっていたとのこと。

出入り口には3人ほど警護の者が居たようですが、完全なプライベートルームとして信玄はここに籠っていたといいます。

 

なおこの便所は水洗式となっていて、外の「担当者」がその時を見計らって水を注ぐようになっていたといいます。

おそらく排水溝に傾斜が付けられていてその反対方向に押し流されるというシステムだったのでしょう。