鹿苑院は烏丸通と同志社大学の下 校内ミニ博物館

風が吹きまくるもポカポカ陽気。

最悪1シーズン3回もあり得るというインフルエンザ禍ですがお気楽気分の一日でした。

たまには・・・ということで遠州豊田のSPをブラつきましたが「なんとかこの冬を乗り切った」の慶び感がありましたね。

ただし調子に乗るとピシッとやられるのがいつものパターンで助手席のドアを隣のおっちょこちょいにヤラれてしょんぼりさせられました。当て逃げというヤツですね。

おそらく乗車時に強風でドアが煽られたのでしょう。あとでゆっくりとドライブレコーダーを解析してみることにします。

全方位のドラレコも必要かとも思われましたがコスト含め面倒なことですね。

 

さて夜のテレビ小僧は「歴史秘話」。

<プロが選ぶ!日本を変えた室町三大事件>です。

先日も今度の「新元号あてっこ寿司博打」の件を記しましたが(六字選んで一字採用で大当たり)私はあてずっぽうに戦国ド真ん中の永禄・元亀・天正のうちから一字採用を奥の墓道氏に提示しました。

それ以前の観応・永享・嘉吉・応仁などなどキリがありませんが今、室町時代が本屋さんでは特に人気だそう。

ちなみに番組では①「観応の擾乱」②「嘉吉の徳政令」(籤将軍)③「応仁乱」を扱っていました。

 

一言で「武士の台頭」こそが面白いということですがその室町期で一番の安定期を維持したのが三代義満の頃。上記でいえば①と②の間ですね。

 

義満といえばどうしても金閣寺(正式名  鹿苑寺 臨済宗相国寺

派~またはこちら こちらも)を思い浮かべます。その寺の名「鹿苑寺」は義満の法号の「鹿苑院殿」からですね。

 

その相国寺といえば烏丸通から見て同志社大学の裏手という位置関係ですが、その今出川キャンパスと烏丸通は遺跡の上にあるといっても同然。

花の御所も直近というか殆ど同所ですね。

 

そこには義満の趣向で建てた「鹿苑院」なる相国寺の塔頭がありました。何故に完膚なきまでに消失しているかといえば例のアレ、明治の愚策(廃仏毀釈)ですね。

特にその流れは「足利」というだけで廃墟とさせる方向がありましたのでこの相国寺は相当ヤラれてしまったことを推察されます。

あの伊藤若冲の「動植綵絵」が宮内庁の手に渡ったというのもおそらくそのスジの影響でしょうね。

 

画像は同志社大学のキャンパスをうろついた時のもの。

警備員に案内を求めた際、気軽に応じてくれたところから部外者が立ち入っても問題なしと勝手に受け取りました。

キレイなホールはまるで博物館。カメラを向けても「こら~」などの声もなくのんびりと散策できました。

 

最後から2枚目の画像の奥が烏丸通。ケースの下、地下部に遺構があって見ることができますが時間によっては水蒸気が上部に溜まって見にくいですね。