「ストーカー心」は死んでまで? 定家  

絶対に忘れてはならないと私が幾度もブログに記させていただいている「地震→津波」への対処を示唆する清原元輔の「末の松山」の歌は、「失恋の歌」といえばそれまでですが、ある意味今風「ストーカー気質」をも垣間見られ、古来、人々は、かなわぬ恋にはサラッと諦めて他の人を探すという雰囲気にはなりえなかったのか、他人さんに公言するには粘着系というかあまりにも恥ずかしくなりそうな歌がありました。

 

 16日のNHK歴史秘話は上杉謙信でした。

つらかりし 人こそあらめ 祈るとて

           神にもつくす 我が心かな」

は、あの硬派の「第一義」でならした謙信の恋歌であると断じていましたね。

 毘沙門天という神につくすのは謙信自身の事は確定です。

しかし「つらかりし」以下の人も謙信であって、一般的に考えられていた「弱い者たち」のことではないようです。

 「つらい境遇の人々に対してそんな状況がなくなりますよう祈る・・・」ではなくて

「つらい境遇の彼女」あるいは辛い境遇こそ謙信自身なのかわかりませんが「執着してやきもき日々悶々とするなんぞのことはあってはいけないだろうよ・・・」の想像拡大の解釈です。

そんな歌でしたらむしろ自制してコントロールするところなど人間的てもあり謙信の別の面をうかがい知ることができます。

 

 能の演目で「定家」というものがあります。

藤原定家は歌人・書家としてその名を知らぬ人はいないくらいですが、当人は上向き指向の強い人で、うまいこと昇進できない自分の境遇に不満足であったといいます。

 下っ端役人の定家があの法然さんとの噂があったといわれる後白河天皇の娘の式子内親王に恋した話は「絶対に成就できない関係」として、後世面白く、(実際の仲に関しては推測のみですが)、その推測から創作された演目が「定家」でした。

  亡くなった式子内親王の墓碑に蔓となって(定家蔓~ていかかずら)まとわりついて、死したあとをも苦しめるという内容です。

  纏わりついて相手を苦しめて刃傷事件などという三面記事は頻繁に目にしますが、この「定家」異様で不気味な、人間の情念というものを感じてしまいます。

 

画像は京都相国寺の藤原定家の五輪塔。

あとNHKにどうでもいいことを一言。

謙信初陣14歳の合戦の演出、カット。

どこからか適当に差し込んだことでしょうが、「てつはう」担いでいる図はオカシイですよね。

おそらくその事件は1544年のことでしょうが鉄砲が種子島に着いたのは1543年。ありえませんね。

コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (木曜日, 17 10月 2013 08:39)

    あんたは偉い!
    よくぞ鉄砲を担いでいるなんてものを見つけるものです。
    しかも年代まで・・・
    詐欺師などや悪いことをする人に対して「他のことで一生懸命すればいいのに・・」と言いますが
    この記憶力や知識を生かせれば寺の住職にしておくのは
    もったいないことです。
    何か生かす方法はないもんでしょうか。

  • #2

    今井一光 (金曜日, 18 10月 2013 00:07)

    ありがとうございます。
    お褒めのお言葉も痛み入ります。

    そうですね。坊さんの職種立場というものが昔と違って
    今はむしろ下賤なもの(ちょっと言い過ぎ)という意も加わってしまったという感があります。
    私としてはこの寺に生まれてきたことも阿弥陀さんの何かのメッセージがあるのだと思って「その時」が来るまでは何とかあっぷあっぷですがやらせていただきたく思います。