大応国師産湯の井戸 井宮交差点近く 国師と大師

朝から一日中ペンキ塗りでした。

 

天気は良かったのですがもはや半袖というワケにはいきませんでしたね。午後からは冷たい季節風(北西風)が強めに吹き出して冷え冷え。久々に風呂の暖かさが身に沁みました。

 

拙寺の報恩講と春の法要の年二回、境内で寺楽市を開催して楽しんでいただいていますが、前回の報恩講にてそのイベントが始まって以来初めて「今回はムリです」と出店を見合わせたのが藤枝の瓦屋さんの渡邊商店御一同でした。

台風被災の屋根修理の依頼が「多い」というのがその理由でしたが、昨日境内物置の材木を納品に来られた製材屋さん~ちなみに昨日の材木町関係、操業の地は「川筋が多い」の件の通り、平成の初めころまでは旧相良川、現在の萩間川沿いにありました~情報によると「あの時瓦屋さんは物件を500件は抱えていた」と。

フル回転休みなしだったことがわかりますし、「三州瓦在庫ゼロ」の噂はかなり信ぴょう性高かったですね。

 

さて、材木町の隣の安倍街道井宮の交差点近くに表記「大応国師産湯の井」なる看板が立っていました。

大応国師は南浦紹明が後宇多上皇から「円通大応」の国師号を贈られたといいますが、その死後に贈られるものですから当人は知らないはずですね。

これは法然さんの大師号と同様です。

また親鸞さんの見真大師、蓮如さんの慧燈大師(ともに明治天皇による)も追贈の号でした。

ただし当節天皇等の帰依があり師と仰ぐという関係があっての国師号となります。

 

いずれにせよ臨済宗の僧では初の国師号だったとのこと。

大応国師はこちらの井宮に生まれてその井戸水を産湯としたとのこと(場所はこちら)。若い頃は建穂寺にいたようです。