山科本願寺南殿(蓮如さん隠居場)跡2016年現説資料

「雨が降るぞ」の予報に慌てて本堂の北側の掃除を始めました。午前の榛原でのお内仏閉扉式から帰ってから殆ど一日中腰を屈めていましたので腰と手が痛いこと痛いこと。

来週月曜日の僧俗研修会を迎えるにあたり「少しはキレイにしておこうか・・・」の気持ちです。

まぁ古くてボロいお寺ですから何をしようも限界はありますが。

 

朝の帰り際、国道沿いで見た農家のお婆さんの腰が「殆ど180度曲がっている?」という姿を目にしていました。

その手の仕事を日々、何十年も続けていれば体があのようなカタチになることはだいたいわかりますが傍からみれば痛々しいものがありました。

農業従事者が減っている理由がわかるような気がします。

今日一日も半袖で過ごすことができましたがそれにしても暖かな初冬です。

ただし研修会の当日の予報は普段の冬の気温まで低下するよう。うまくいけば大型石油ストーブ設置は不要かと思っていましたがどうやらそれは無理なようですね。

 

さて、山科本願寺とその周辺についてブログにて適当に記していますが、南殿(蓮如さんの隠居場)の発掘調査(第五回2016年)の現説資料がアップされていました(こちら)。

広大な山科本願寺の歴史的遺構を感じる場所は大きく2カ所に分かれます。

現在の山科中央公園や蓮如さんののあるエリア、そしてこの南殿ですね。当然に当時はその二地区は一体化した施設であってその外郭は土塁や堀に囲まれていたようです。

平坦な場所だけにかなり大きな土塁が廻らされ、その防御性をアップさせていたことと思われます。

現在は住宅地と化していますので遺構はまだまだその下に埋まっていることは想像できますね。

 

その説明資料にある中、なるほどと思わされるのが南殿の二重堀の内郭のスケールが南北約125m、東西約100mとのこと。

その数字はいわゆる国人領主の城館の教科書的サイズ・・・「100m×100m」に近いものがあったということです。

 

南殿跡にはそれが天文元年(1532)に焼き払われたあと光照寺というお寺と幼稚園が建てられていますが、画像は以前記したお寺の手前の空き地に立つ碑と掲示板(場所はこちら)。

画像奥の林が勿論土塁の跡。「掻き揚げ」でしょうから勿論堀が手前にあったことでしょう。

 

そして以前は幼稚園の南からの図をアップしていましたがその南側から撮影したもの。土塁がハッキリわかります。

その地も真宗大谷派の施設になっています。

 

④掲示板の地図はやはり「北を上に」するというルールは無視しないで欲しいですね。

一瞬目を疑うということになります。