「秋立つや 大樹の上の 流れ雲」 小諸城

案の定台風21号の威力はすさまじいものがありました。

夕刻に起き出してテレビからの画像はどれもこれも口が開けっぱなしになるような唖然驚愕ものばかり。

特に車というものがそれほど「軽い」ものかと。

 

こちら相良にあってはおかげさまで無事。まぁ台風の進路と距離があっただけの話ですが・・・。

私は低気圧の接近があると頭痛がするというアノマリーがあって午後の予定がないこともあって薬に頼ることなく布団の中に。

奥方の方は土蔵整理以来の絶不調がピークに達したようで(咳と頭痛)地元医院に向っていました。

先生に事情を説明すると「ハイそれ、呪いね・・・」とニヤニヤ。とりあえず抗生物質らしき処方をされて帰ってきました。

 

「案の定そうだった」と奥方は私を罵っていましたが「ただの塵ホコリ」を主張。ただたまたま変なモノが混ざっていただけだろうと意味不明の事を言っていました。

ということで午後は夫婦でぶっ倒れていたというわけです。

私の頭痛もそのせいだったのかも。

 

昨日は幕末維新と薩長同盟の茶番について触れましたが、昨日のニュースに新作映画の話題がありました。

映画といえば最近は和もの、時代劇に趣向が動いています。

時代劇といってもCGをふんだんに使ったような荒唐無稽ではなく真面目なモノ。

直近では遠藤周作の「沈黙」でしたね。

 

そしてそのクランクインのニュースがあったのは司馬遼太郎の作、「峠」。越後長岡藩の家老「河井継之助」を描いています。

勿論その時代は今の大河ドラマと同じ幕末ですね。

私はきっと今の大河の台詞回しの不愉快を「かっかっかっ~」と言う具合に気持ちよく蹴散らせてくれると踏んでいます。

映画公開と観賞が楽しみです。

 

河井継之助は一言で幕末中立派で反薩長。薩長方軍監の岩村精一郎との交渉で「あなた方が真の官軍ならば恭順しても良いが、討幕と会津討伐の正当な理由は何か。旧幕府や会津を討伐すると言いながら本当は私的な制裁や権力奪取が目的なんだろう。長岡領内への侵入と戦闘は断る」(ウィキペディアより)と岩村を論破しています。

無反論の岩村が長岡藩との無用な戦争を起こした・・・という流れになりましょうがちなみにその「岩村」はおそらく映画の中でもかなりの間抜けかバカ丸出しの悪役に描かれる事は確かでしょう(期待をこめて)。

そういった「勝てば官軍」が昨日記しました壬申戸籍では「華族」という階級に収まるというのですからそのような地位の設定はまったくの手前みそでした。

 

また戦闘場面スペクタクルの演出もあるはずです。

河井継之助のガンマニア風のキャラと藩の最新兵器の導入の気鋭は特筆ものでしょう。

さぞかしガトリング銃をぶっ放すシーンは爽快でしょうね(人殺しの道具・・・御免)。

 

さて、越後長岡藩といえば三河、遠州に親しみ深い牧野家を思い起こします(三遠「牧野」ブログ           )。

画像は先日なんとなく連れていかれた信州小諸城(場所はこちら)。

小諸城には築城以来各経緯あって移封各ありますが長岡藩分家の牧野康重以降明治まで牧野家が10代の藩主をつとめます。

 

牧野康済(やすまさ)が最後(10代目)の藩主となりますが彼を取り巻く幕末どさくさと御家騒動―父牧野康哉(やすとし)が亡くなってその力量の件、彼の弟の優位を主張した家臣団があったことから「小諸騒動」が勃発しています。

その騒動に際して本家の長岡藩から調停に小諸にやってきたのが河井継之助でした。

 

画像は小諸城本丸付近で見た牧野康強(康済の長男)の歌碑。

明治が無ければ殿様でした。

台風一過はまさに「秋」でしょう。③は拙寺の大樹と秋の空。

たまたま雲はありません。右のケヤキが色づき出しました。

 

そしてまた牧野康哉の顕彰碑。

「洋式兵法」導入の件記されています。

碑は駅舎の見える道路際、関ケ原の途中、徳川秀忠が真田上田城攻めの本陣にした時の腰掛石(憩石)のお隣にあります。