鳳来寺南「門谷」の石仏 阿弥陀三尊 住立空中尊

昨日も東部の天気は荒れ気味のよう。

ただしこちら相良に小雨が降り出したのは18時頃で一日の活動というものにまったく支障なしでした。

むしろ15時過ぎに湧き出してきた雲を見て「水やりをしないで済みそう」を期待しました。その後の打ち水的小雨は願ったりかなったりでベリーナイス!!。

 

法事とお斉が終わった2時過ぎに自宅に戻れば言いつけていた通り蔵の2階から「これ」と言った木箱を下ろしていました。

蔵を整理するに当たり、奥方は「どうせロクなものは出てこない」「ゴミばかり」ということで蔵を壊す際に業者に処分を依頼した方がイイとの主張でした。

しかし今回の「ママ判定」には私は異議を唱えて息子にやってもらうということで話がまとまりました。

他人様に入ってもらいたくない、しかし私どもはこの暑い中、なお暑くて埃だらけの極悪環境下にての仕事は御免でした。

遊んでる若者がやる、それが一番。

 

業者さんに任せてしまうということは100に一つ、掘り出し物があったとしても永久にそれがなかったことになりますからね。

何も出て来なければそれはそれで地頭方の処理場に行ってもらえばOK。

どうせゴミ処理場行きと高をくくって法要から帰宅してから涼んでいると外から「何か出て来たヨ」と息子が。

奥方がその語を吐けば「すっ飛んで出て来るぞ」と息子に言っていたようで、やはりその期待通りにそれを慌てて点検に行けば戦前の書物やら経本で面白味なしでした。

 

「教育勅語」などが絵で記された軸が出てきて「こんなものイラネ」と憎まれ口を叩いていると息子が違う箱から「山岡鉄舟に小島蕉園もあるよ」と。

私は絶句させられました。

真夏のサプライズ、絶対にナイと踏んでいた場所から虫食いでボロボロながら夥しい古文書が出てきました。

 

本堂の長櫃に詰まっていてたお軸等は庫裏に移して保管していますが、まさか蔵にもまだあったとは。

父からは「蔵には何もない、もぬけの殻、既にお宝は持ち出され済み・・・」ということを聞かされていましたので私が戻ってからの12年余り、蔵に立ち入ることはありませんでした。地震で蔵の屋根が崩れた際は外側から補修して雨漏りを防ぐ程度の工事で関わったきりでしたからね。

 

のんびり整理となると殆ど年単位の時間がかかりそうな量ですし、虫に食われてのボロボロと埃だらけで家の中で広げたり手で触れるのも気持ち悪くなるような代物です。

軸装されていないどなたが記したかわからない書画も出てきましたが、もしこれらを「軸装していたら」を考えると破産レベルですね。どちらも保存作業等手を入れるべきか悩ましいところです。

 

さて、新城鳳来寺周辺の続き。

もっとずっと涼しい時でしたが鳳来寺の南側の字名で「砦」なる場所がありまして、「どんな場所?」という気持ちが自然発生的に起こりましたので寄り道しました。

地区の墓地もその奥まった場所にありましたのでうろついた時のこと(場所はこちら)、道端の小さな辻にガラ置場の如く積み上げられた石塔残欠が目に入りました。

殆ど「処分したいが処分しきれるものではない」という今の人の気持ちと、なんでこんなことに・・・と石仏たちの声が交錯しているように感じましたが、見回すと興味深い石仏がありました。

 

よく見れば空中阿弥陀三尊の来迎の様子が肉彫りされた石塔です。

先日来掛軸でのそれらについて記していますが案外石仏の三尊は珍しいかと。中央阿弥陀如如来、左脇侍の観音菩薩、右脇侍の勢至菩薩のスタイルは間違いないかと。

三尊が一つの蓮華座の雲にご一緒している様子も可愛らしいものがあります。

 

ちなみに近所の墓地の様子は小笠原姓多し。手前「黒谷さん」を見て伝太田備中守墓(上記鳳来寺リンク先)の近くにある「黒谷家」を類推します(新聞紙上)。

ただしこれは無根拠です。

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コメント: 2
  • #1

    野村幸一 (火曜日, 14 8月 2018 19:32)

    興味深いですね!蔵蔵!



    良いですよね!欲しいです。昔は我が家にもあったようですが。

    もし、野村関連が出てきたらご一報下さいませ。(^^)

  • #2

    今井一光 (火曜日, 14 8月 2018 19:37)

    ありがとうございます。
    勿論その時は。