浜松藩主太田資宗 鳳来寺参道 太田備中守石塔 

昨日午前は社会福祉協議会のボランティアの方たちがご年配の皆さんをお連れして大澤寺本堂の見学会。

丁度その寸前に雨が降り出してどうなる事かと思っていればただの通り雨。10名程度のグループでしたが向学心旺盛で鋭い質問もあったほどでした。

 

本堂下の材(相良城転用材)に丸尾月嶂の襖、そして海の如来様がお目当ての様でした。

皆さんさすがに本堂への上がり下がりは難しいようでしたが、階段ではなくスロープを案内すると本堂に全員が着座することができました。

私は今、何ともなく本堂を行き来していますが、いずれは難儀しての出入りとなるのでしょうね。

 

階段を目にした方で「私はここで待っている」という方がいらっしゃいましたが、「スロープでどうぞ」と勧めれば皆がそのあとに続いて上がっていきました。誰一人残すことなく。

 

また案内した出入口には手すりを設置していますが皆さんそれを活用してくれていました。

私も「最低限」のことはできたのだろうと少々満足したところですが、オールセイフティをすべてに於いて全うするよりも年配者にとってはこういった「至れり尽くせりではないが何とかきっかけとなる設備がある」というのがいいのではないかと思った次第です。

しかし4名ほど介護ボランティアの方が同行していましたが本当に大変なお役だと思います。地域にとって大切な活動です。

 

予選リーグ第三戦が近づいていますね。

皆さんそれぞれ盛り上がっていますが経験則からいって個々の試合でサプライズ、時にジャイアント・キリングがあったとしても3試合の中で結局は下馬評通りに予想が収斂していくものです。

ということで「それでも私はポーランドに勝てるとは思えない」という主張を奥方にすれば「どれだけネガティブなんだよ」と言われていますが・・・。

今回は現実的に私と同様日本の三連敗の予想をしていた奥の墓道氏ですがここへきて彼は日本勝利に期待を込めて鰻重1杯を掲げてきましたので、それならと日本の敗戦ということでその博打を受けることにしました。

予選敗退が決まっているポーランドですので、日本国内は「モチベーションが下がって好都合」と言う人が居ますが私はそれこそ「どれだけ楽天的なんだ」と思ってしまいます。

 

前2試合を見て、意外に「組みやすし」は思いましたが果たして彼らがこのままおめおめと見せ場も無いまま帰国できるはずもありませんからね。

1試合目2試合目が敗戦、3試合目に勝って「一矢を報いる」というパターンは数限りなくお目にかかっています。

それでも日本が勝てたとしたらそれも大したもの。3000円の出費は致し方ないでしょう。

 

さて、鳳来寺の表参道は中学校の遠足以来ですが、まったく記憶から消えています。コースも忘れていますのでその際に果たしてこちらを通過したのかどうかも覚えがありません。

 

伊奈街道から鳳来寺表参道に入って二の門を過ぎてしばらく行くと右側に五輪塔の地水火輪の上に宝篋印塔の相輪が載ったという感じの大き目の石塔があります(場所はこちら)。

 

こちらが遠江浜松藩の太田資宗(すけむね)の供養塔と伝わる「太田備中石塔」です。

太田氏の出自は太田道灌と伝わります。

その真偽はわかりませんが、その太田氏が要職に引き立てられたというのも「家康の名家好き」からでしょう。

 

彼は家光の命によって鳳来寺に東照宮を建立するためにこちらにて陣頭指揮、滞留しています。その石塔の向かいの平澤家を資宗が宿舎としていたといいます。

 

彼の死後にこの平澤家の何某か、または鳳来寺東照宮関係者の手でその遺徳を偲ぶという意味でこの石塔を建てたのでしょう。

私はその石塔の下にあった八角形の基盤の方にも興味が。

 

石塔自体も移動してこちらにあるということで、元の位置についてはわかりません。この基盤の上に載っていたのか、または違う石像構造物が存在したのか不明です。

相輪の高さから大きさ的には地元トップレベルのものとなりますが、何せアレンジの風(上記)と江戸期というものであるという先入観から石塔としては今一つというところでしょうか。