オーソドックスなスタイル 阿弥陀来迎三尊形式

毎年恒例、息子を引き連れて静波墓園の草刈と剪定へ。

毎年カイズカの中にアシナガバチが巣を作っていましたが今年はナシ。助かりました。

水筒に冷たいお茶を持参しましたが殆ど15分おきくらいにがぶ飲みしていましたので近くの自販機で2回追加購入しました。

ニュースでは名古屋で40℃超えとのことでしたが、おそらく静波は35℃がいいところでしょうね。結構に風もあって心地よきものがありました。

 

海に行ってどうのこうの・・・と口癖のように言っていましたが最近になって「イイ歳こいてみっともない」「どういう面さげて・・・」などと奥方から強く罵られるようになり、正直なところ近頃まったく塩水に触れていませんが、昨日は檀家さんの縁者に「真っ黒ですね」と声をかけられてしまいました。

 

自分では以前よりまったく「黒い」などと言われるレベルではないと思っていましたのでかなり驚きました。

正直に「さっきまで静波の墓地で草取りを」と返しましたがそれは一方的に否定されていたよう。

土日の法事で怪訝な顔をされましょうがやはり「草刈ヤケ」が真実ですからね。海やゴルフで遊んでばっかり・・・坊主家業はラクなもの風のご批判は嫌な感じ。

 

世の中、クロい奴は遊び人風のチャラさを醸し出して「怪しい」という先入観がありますので困りますが、よく考えるとそういう私も他者のその風体には警戒感がありました。

 

奥方に聞けばこんな日によろこんで「草刈りをした」といっても誰も信じないそうで、それを人は「JOKE」と解するのだと教わりました。

 

さて、先日紹介した独尊阿弥陀如来の姿ですが、正式には「住立空中尊(じゅうりゅうくうちゅうそん)」と言いそれが今の真宗系寺院の御本尊である木仏阿弥陀如来の立像の原形かと思います。

阿弥陀さんが立っている理由について時々問われる事がありますが、その理由を端的に説明できる論拠があります。

それが「観無量寿経」の「華座観」前文。

 

『仏、阿難および韋提希に告げたまはく

「あきらかに聴け、あきらかに聴け、よくこれを思念せよ。仏、まさになんぢがために苦悩を除く法を分別し解説すべし。なんぢら憶持して、広く大衆のために分別し解説すべし」と。

 

この語を説きたまふとき、無量寿仏、空中に住立したまふ。

観世音・大勢至、この二大士は左右に侍立せり。

光明は熾盛にしてつぶさに見るべからず。百千の閻浮檀金色も比とすることを得ず。』

 

かつて「座ってお迎えするより立ってお迎えする方がイイ」などとイイ加減(善導さんはその手の俊敏対応と親切について仰っています)を口走ったことがありますが、こちらに立っていなくてはならないしっかりとした理由付があるのでした。

 

上記には観音と勢至の両菩薩が「侍立」とありますが、それは仏典踏襲の立場であって時代が巡って「一向専念無量寿仏」の思考と実践もあり、「阿弥陀如来」のみの絵像(方便法身尊形―ほうべんほっしんのそんぎょう)が在家御内佛の御本尊の姿と繋がっています。

 

「観世音・大勢至、この二大士は左右に侍立」とありますようにこちらがオーソドックスな三尊形式。拙寺にある三尊の来迎図です。

二十五菩薩・・・「塵沙の衆」を引き連れての来迎図も中にはありますが当家には伝わっていません。

 

三尊来迎の基本的カタチというか構図はまず決まっていて中央の阿弥陀如来が白雲の「雲座」に「踏割蓮台」に乗った姿で上部空間から降臨している様子が描かれています。

右下に「阿弥陀の智慧の化身」勢至菩薩の合掌姿、左下に「阿弥陀の慈悲の化身」観音菩薩の蓮台持参の姿というのがお決まりです。

尚「左右」の言い回しは京都の左京・右京と同様、あちら側―御内陣―からこちらを見る立場になります。

 

三尊形式のお軸のあり方ですが、これは「往生作法」といわれています。「さあこれから往生するぞ」という往生者の前にこの軸を掛けて読経したといいます。

現在は亡くなった後に僧侶が呼ばれますが、一昔前といえば亡くなる前に呼ばれるものでした。

 

世のこの形式には特に別バージョンがあって三尊の向いている方向、左下に屋形があってそちらに往生者が合掌している様子が描かれているものもあります。時に複数の往生者がその来迎を待っている姿が描かれているものもあって、その図もやはり特定の「亡き人」の遺徳を偲ぶものだったことが考えられます。

 

真宗は「一向専念」の思想とともに「来迎はない」→「すでにいる」・・・という考え方に変遷していますので、三尊形式はもう「古い」考え方かも知れません。

 

ただし、私どもの葬儀開式の際、冒頭結構に気張って声を出す「先請伽陀」にはしっかりその三尊形式を彷彿とさせる件が入っていますので完全には「阿弥陀三尊は来ない」を主張するに少々それを言い切れない部分もあります。

 

「先請伽陀

 

 先請彌陀入道場  不違弘願應時迎 

 觀音勢至塵沙衆  從佛乘華來入會

 

まづ弥陀を請じたてまつる 道場に入りたまへ

弘願に違せず時に応じて迎へたまへ

観音・勢至・塵沙の衆

仏に従ひ華に乗じて来りて会に入りたまへ」

 

拙寺に伝わる三尊図は仏事に使い込んだのかかなりの痛みと修復の痕があります。

この軸もおそらく鎌倉期のものと(勝手に)推測しています。

やはり拙寺初代が畿内から持ち戻ったものかと。

繊細な描写はないものの両菩薩の持ちものなど色味が残っています。

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (土曜日, 04 8月 2018 09:23)

    雲は「筋斗雲」ですか?
    孫悟空と同じ雲?
    それともそれとは別の雲?

  • #2

    今井一光 (土曜日, 04 8月 2018 20:31)

    ありがとうございます。
    ハッキリわかりませんがきっと
    西遊記の孫悟空からのそれは明時代(1500年代)。
    この手の阿弥陀来迎図は平安期に中国から入ってきた構図だと思います。
    となるとやはり孫悟空の「雲」はこのあたりからの発想ではないでしょうか。