上朝比奈小泉の風景 小原橋近くの地蔵堂

2019年に予定している静岡空港の民営化の件、「静岡県は運営事業者となる優先交渉権者に三菱地所と東急電鉄を選定した」というニュースがありました。

 

先般もショッピングセンターの誘致(牧之原I.C.北開発)について今後は核となる運営母体の選定に移るということを記しました。

私は今回の三菱と東急電鉄のラインは空港の管理は県であり北開発は牧之原市という違いはあるものの、まんざらその方向性がステックされたことを示唆しているようにも感じました。

 

先の読めない時代ですが、「どうせやるなら早いところ決めちゃって」てなところ。

私が一番に危険視しているのが例の「カジノ」。

あんなものをあそこに建てられたそんな日には、結局は周辺の人たちをカモに「惨めな家族の没落」の類を見なければいけなくなるやも知れません。

 

どの時代にも「バクチ」で家を傾けたという件、やたらと聞きますし現代であってもそれにのめり込んだ父親を原因とした家族の悲惨譚は各あって毎度耳を覆いたくなります。

どちらに建てられるのであってもあれは強く反対したいものです。庶民を不幸に陥れる施設ですから。

 

あれは一見したところ自己責任に見え、時として「レジャー」という美辞のオブラートに包まれますが常習者を見ていると殆ど「病気」と同じ。

国民を蝕む病の元凶を何故にして運用しようとするのか、意味がわかりません。

手っ取り早く儲かるものに手を出すところがお寒い感覚ですが。

デカくテラ銭を稼ぐ「バクチの元締め」をお国がやろうというのですからね。

ヤマ師風の輩が大挙して田舎町を闊歩されるのもね。

 

さて、牧之原台地の舌状台地の「舌」を形成するためには「谷」を削っていく必要がありますが、そのアイテムが「川」ですね。

有史以前、長い歴史の中、大井川の蛇行やら台地隆起やらでこの辺りの地形が形成されたのでしょうが、台地のそこかしこから流れ出た川が集約されつつ長い年月をかけて谷を作り、さらに川を中心に扇状地の如くの平らかな地を作っていったのでしょう。

 

相良から浜岡の池新田に向かうには一旦「鬼女」の原に出て朝比奈の地にくだり下りるのですが、あの新野川に合流する川が谷の中央を流れています。先日記した桜並木はその土手です。

谷と言っても台地と台地の間に結構な距離がありますので、殆ど平地の如くになっていますが・・・。

 

その川の流れの近く「小原橋」のたもとに地蔵堂があります。

上朝比奈屋台小屋がその川の向かいになりますね(場所はこちら)。「この川がこの平地を作った」と考えるのと「まさか」と思えるくらいに小さな流れです。

 

小泉区の人たちが古くから祀っている石仏ですが、豊受神社そして「朝夷さま」とかつてあった朝夷さまを含めて住民先祖を供養するためにあった普門寺も近くにあります。

 

普門寺は五代程度の住職が続いていたようですが、閑田院に併合されて今に至ります。

普門寺の跡地に中部電力が鉄塔を建てたいと申し出があった際、朽ち果てた普門寺の堂をあらためて、簡易ながら建屋を作ってもらったということです。

裏側には瓦の破片と石ころが積まれていました。かつての何かの残骸でしょうか。

この建屋の裏側に丘に登る階段がありますがその竹藪の中にかつては歴代住職含めて何基かの墓地がありました。今はすべて閑田院に移されています。

 

上記地蔵堂、朝夷さま、普門寺跡の堂とも閑田院から僧侶を招いて年に一度法要があるといいます。

⑦の大きなヤマモモの小径を上がれば⑧。

③地蔵堂から見た豊受神社の鳥居に小泉区民会館。

地蔵のベース部分には上朝比奈に普門の文字が見えますので廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた頃に普門寺から逃れてきたのかも知れません。