2017の最終日 ご健勝と平和を祈念 おかげさま

再び毎度お馴染み「懺悔」(さんげ)の日。

振り返れば漠然朦々、自身不明の躰。

おそらくこのまま皴の数のみを重ねてどこかで病を得、あるいは不慮の遭遇にて死していく身をここで感じます。

ただの区切りと機械的に割り切ってはいるもののそこでは毎度の一休さん。

「門松は冥土の旅の一里塚~~」。

日めくり暦を捲ればまた一つ棺桶に入る時が近づくことになったことを痛切に感じる歳となりました(いつものことではありますが何故かこの日だけ妙に焦る・・・)。

まったく「目出度い」など言っていられないほどタイマー切れは近づいています。

 

本日はお昼12時より恒例となった「除夕の鐘」が撞かれますが、その準備のために総代世話人婦人部はじめたくさんの方々が境内にあつまりました。

昨日は最近の強風と低温傾向が嘘のようなお日和でした。

あいにくの降雨予報があることで思案のしどころではありましたが、温かな陽ざしの中、いたって順調にセットが進み予報は「気象庁の嫌がらせ」程度と苦笑いしながらの作業でした。

 

作業中の専らの噂は「明日は葬儀で鐘撞きどころではない」と参拝者のどなたかが仰ったことから。

地元の著名な方が忘年会の帰宅後、自宅風呂場で亡くなっていたのが朝になって見つかったとのこと。

外食等で帰宅した場合など、冷えた体に風呂は一番の滋養というか普通に習慣の如く考えること。

れが致命的要件になることなど、そうは皆さん感じることはないかも知れません。

 

私の父は風呂場で倒れて救急車で病院送りとなった経験がありますが、今、交通事故死者が減少傾向にある中、それよりずっとリスキーな場所が自宅でした。特に冬場の風呂場とトイレは危険地帯と聞きますね。

楽しいパーティ・宴会のシーズン、体のケアは怠りなく。

 

そして度間抜け愚息から。

掛川駅に到着するという連絡を突然受けて早々に境内を離れて掛川へ向かいました。

ところが乗っているはずの新幹線の到着にもかかわらず駅舎から姿が出現せず。lineで「どうなってる!」と入れても既読にもなりません。

半分キレかかって電話すると・・・寝過ごして「今静岡」だと。

電話を入れなければ何処までも寝てたのでしょうね。

諦めて帰宅しようと走り出し数分、折り返す新幹線があるのでスグ掛川だとの主張。よって再び掛川駅へ反転。

ロータリーは車でごった返してやむなく、道路のバス停前に待機しました。すると救急車とレスキューが私の車の前に停車して尋常でない様子。

 

息子の車両の前を走っていた「のぞみ」で急病人が出て緊急停車したとのこと。遅れが出ると聞いて一瞬イラっときましたが、

おそらくその方は帰省中の体調急変だったのでしょう。

ストレッチャーで運ばれる彼の足がチラリと目に入って気の毒になり、また無事に家に帰ることがいかに「重大なる平穏」なのか知らされた思いです。

 

さて、昨日の本山の慶長撞鐘つながりで本日は沖縄別院の梵鐘を。こちらは別名「兵戈無用の鐘」(東本願寺ハイサイ沖縄1月号より)。

「兵戈無用」とは真宗の経典「大無量寿経」に出て来る言葉で「民は平穏平和につき武力も武器もいらない」という意(→ブログまたはこちらでも)。

仏教の目指すところはそこのところ。

平和で平穏そしてそれがあっての健康長寿。

ここばかりは外せない私の願い。

 

②は夜間の強風に備えてフレーム組みのみのテントと③焼き芋の下準備。右側の会館内ではカレーの下ごしらえをしています。味は子供も食べられるよう甘口だとのこと。

④は息子との交信中、目前での一コマ。

無事なる正月を迎えていただきたい。

 

おかげさまでこの私は1年何とかすごすことができました。

ありがとうございます。

「あたりまえ」ではなく奇特な事と感謝してまた新しい年を歩き出したいと思います。

 

追記 

恐縮です。本日の朝日新聞の天声人語をご覧ください。