「きのこ雲の下で 何が起きていたのか」Nスペ

戦後70年。時間の経過によって人々の記憶から消えゆくあの時の「苦痛」(ある時は他者に向け、またある時は自らが味わった)について「忘れていない」という自らの確認と、ご近所様でも「そういえば・・・」という気持ちだけでも喚起できればいいかと思い、「梵鐘を撞こう」と今年からはじめました。

広島8/6と長崎8/9そして8/15ということで「やりましょう!」と声をかけられたことからです。

 

といいながらも檀家さんにお任せしっぱなしで、昨日は原子爆弾が投下された8時15分から1分置きに7回ほど撞いていただきました。

1分おきの間隔では「間が抜けてしまうかも・・」と式典を見ながら耳を澄まして聞いていましたが・・・、蝉の声に掻き消されそうな気がしないでもありませんがまずまずの達成感。

 

次回は8/9です。

8/15の記念日は尾張の「みよし市」にある大谷派のお寺さんから(戦後70年だけに)「70回梵鐘を撞こう」という提案がありました。今年からそれを続けたいとのことです。

「日本中の寺院が全戦没者への追悼と『不戦の誓い』を確かめつづけるため」とありました。

また仏教界普遍の原理「不殺生戒」について触れていました。

 

「五戒」という言葉がありますが、これは私が結構使用する御文(少々長いです)の二帖目第七の冒頭に出てきます(五戒・易往而無人)。

 

「しづかにおもんみれば、それ人間界の生を受くることは、まことに五戒をたもてる功力によりてなり」(冒頭)です。

「不殺生」他の戒を守る(「殺さない」)ことから功力(くりき)のおかげで私たちの「生」があるというその大前提」を語る部分ですね。

そして無量寿経の「 国豊かに民安し 兵戈用いることなし」「兵戈無用」(ひょうがむよう→大谷大学)の二枚看板がわれらの「不戦標榜」の根拠です。

敢えて言えばその大きな看板を表していたにも関わらず、70~80年前の我ら寺の坊主どもは国と一緒になって檀家さんを戦場に追い立てたという大反省を大いに戦後これまで引きずっているということですね。

これはずっと忘れずに「引きずって」後世に繋げていかなければならないことです。

 

70回となると30秒おきで35分。数人で撞くには少々辛いかも。

来年は8月の法要に参集される皆さんに呼びかけて募ってみます。いい話にはおつきあいさせていただきます。

 

さて、今年の夏のテレビ各局、色々な番組を企画していますが、さすがNHK、切り口を変えて「見せる」番組を作ります。

昨晩は標記「きのこ雲の下で 何が起きていたのか」NHKスペシャルでした。

広島に原爆が投下されて70年。

1枚の写真にスポットをあてて被写体として現された人たちのその生き様と「死ななければならない理由」のない厳しい現実を描いていました。


この映像は誠に「筆舌に尽くし難い」状況です。

登場する生き証人の言葉は今語られるエライ人たちの、「言葉を選んだ美辞麗句」よりも心に響きます。

言葉になりません、戦争は・・・。

心底衷心 合掌 南無阿弥陀仏。