ご本山(東本願寺)の梵鐘(慶長撞鐘)はというと

昨日はワンちゃんの納骨法要が終わってあとは雑務のみ。

打敷を掛けてから奥方独りでご本尊前のお花をいじくっていましたので気の毒には感じましたがうっちゃっておきました。

本堂の、特にお内陣は暖房器具を置いていませんのでひときわ冷えたようです。

 

拙寺には生々流転」の墓を設けていることは既報のとおり。

檀家さん宅の「癒しの家族」(ペット)のその時の受け入れをしていますがすでにワンちゃんが何頭か。

ペットのご遺骨受け入れは時代の要望ですが、主旨としては「正信偈をみなさんで・・・」の機会をつくること。

結構に喜んでいただいています。

そしてその墳墓にはお花が絶える事がありませんね。

「父母が亡くなっても納得できるがペットがいなくなると立ちなおれないほど悲しい」とみなさん。

大晦日の鐘撞きを前日に控えて、本日は境内のいろいろの用意で時間をとりますが、早い時間に母の顔でも見に行って来ましょう。

 

さて、拙寺梵鐘についての能書きは記していますので本山の梵鐘を。

と言っても「釋淨如」大谷暢顯門主と刻まれた現役の梵鐘ではなく先代のもの。今の鐘楼に掛かる鐘は御開祖の七百五十回忌法要の前年に新調されたものです。

 

ということで本日は秀吉はじめ石田三成の迫害をうまいこと立ち回って大谷派(東本願寺)の法灯を繋げた教如さんが製作させた梵鐘の方ですね。

 

梵鐘のデータを丸写しにすれば以下の通り。

 

東本願寺の境内地南東の鐘楼に懸かっていた撞鐘(梵鐘)。 

慶長7年(1603)、徳川家康から京都烏丸六条の寺地の寄進を得た教如上人が、同9年(1604)9月の御影堂の造営に合わせて鋳造したもの。

鋳造  慶長九年(1604)五月二十八日 

吊下  慶長年(1604)六月六日 

撞初  慶長年(1604)六月七日 

製作  鋳物師大工浄徳 

仕様  総高 256cm 

口径  156cm 

総重量 3800kg

 

絵柄・銘文  

左向鳳凰(上部) 本願寺(下部)        

右向飛天(上部) 信淨院(下部) 信淨院=教如上人        右向鳳凰(上部) 慶長九甲辰暦(下部)        

左向飛天(上部) 五月廿八日(下部)        

縦帯下部     大工大坂淨徳        

鐘身内部     慶長九甲辰年 大坂大工淨徳 五月廿八日

 

「池」や「草」「乳」等は梵鐘の部位の名称。

その形態と絵柄によって製作年代を判定し半島系伝承の特徴かオリジナルなのか推するとのこと。

 

難波別院の梵鐘(「大谷本願寺の梵鐘鋳造」)が教如上人が初めて手がけた梵鐘だと思いますがこちら(東本願寺)の寺地を得て新たに作った梵鐘は一味違った思いがあったことでしょう。

上記記述には教如上人の梵鐘の鋳造が「大谷本願寺の再興の決意」とありました。

 

そうです、私どもの梵鐘はいわば寺のステータス。勿論時鐘の役もありますが・・・。

今となってはあっても無くてもどうでもイイという方もいらっしゃるかと思いますが、私はその教如さんの思いを継承する寺として今ある梵鐘の生かし方の一つ「除夕の鐘」を続けていければと思っています。

蛇足ですが拙寺の鐘撞きは「108つの煩悩をなくすため」のものではありません。鐘を撞いて煩悩が無くなるワケでもなく・・・

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (土曜日, 30 12月 2017 09:29)

    煩悩が無くなると思って鐘を撞く人は、それでよし。
    人それぞれの思いで撞いてもらえればと思います。
    今日はウォーキングの帰り6時40分頃には駐車場に
    タクシーがいてNHKの人だと言ってました。
    早いですね。
    いずれにしてもお寺に人が寄ると言うことはいいですね。

  • #2

    今井一光 (土曜日, 30 12月 2017 20:36)

    ありがとうございます。
    仕事とはいえ大変です。
    薄ら明かりの中、境内を撮影されていたようです。

    鐘撞きは人それぞれでOKです。
    私は人には「スカッとするから・・・どうぞ」とすすめています。
    病気もストレスも加齢もみなさんぶっ飛ばして
    元気にすごしていただきたい・・・の煩悩だらけの大音声。
    ブチかますには最高です。