「歴史」に各説ある理由 書写時の文字判定と誤記

「冬ってこんなに寒かった?」と「ない頭」の記憶をたどりますが・・・、コレも齢を重ねたせい?

冬季の在宅死亡率の低い県は・・・と問われて私も温暖な沖縄だろうと思いきや実は「北海道」が1番という驚き。ちなみに確か2位が青森というから面白い。

寒すぎるので即死亡するような地だからこそその対応力あるということで、冬季への準備には余念がないという表れですね。

イソップ物語の「北風と太陽」の寓話も思い浮かびます。

 

室温18℃未満から死亡率が上がっていくようですが私の住まう静岡のこの庫裏の中で一番に温かな場所が18度。北海道の平均的なお宅の室温が22℃だそうですから「なるほど」です。

これで北海道から来た人が「寒い」という理由がわかったような気がしました。

昨晩から当地には強風と乾燥注意報が出ています。豪雪地方の方からいえば甘っちょろい・・・というか火事が最も怖いです。

 

さて先日来、「相良町誌」について記しました。

「時鐘 御用」を紹介させていただきましたが「一人扶持、二人扶持」(こちらまたはこちら)の検証など合わせて、この件「よく考えてみると・・・」となったワケです。

私は自分の家にあった「相良町誌」を見て勝手に感動して記したのでしたが、この相良町誌なる書物は大正期に記された書写です。では「元ネタは何?」ということを冷静に考えれば、拙寺の詳細についての記述ですから、拙寺の文書かも・・・と思い立ってこの2日程度、その文書探しに時間を費やしました。

 

大した文書の所蔵は無いのですが、いったいどちらに仕舞いこんだかの記憶が定かでないというのがいけません。

やっと探し出した「本樂院大澤寺由緒記写」。

何のことはないバッチリ同様の事が記されていました。

初見だとか感動だとか何とお恥ずかしい事。そんな件とうの昔に目に入っていたのでした。

 

既に拙ブログにて先般の鐘楼階段手摺に付けた掲示板の内容と「相良町誌」記述と違うということにお気づきの方がいらしたかも知れませんが、あのページの問題の「扶持」の件は「二人扶持」ということで収まりました。しっかり拙寺の書面には「弐」が。

『寛政度一橋様御領ニ相成御代官山中為之助様之節時鐘御用蒙り一人扶持御下ケニ相成』の部分です。

そしてこの「相良町誌」の代官「山中為之助」の件、これも誤記。掲示板では修正していますが「山下為之助」が正解です。

 

このように文書のコピーはすべて手書きの写し、印刷も無くはないですが原版は手彫りの時代。

書写は書写される原紙が劣化して、痛んだために厳然と情報を継承させようとするものもあれば若衆の勉学の材料として記したものがたまたま残ったというものもあるかもしれません。またまとめ史料編纂のための書写もあったでしょう。

要はその書写者によって違う記事になるということもあるわけで・・・

コピーのコピーなどあれば案外違った意味合いになったり、さらに変化してしまうはずです。

これは紙の劣化が激しいことから行われる継承のための倣いですね。

 

よって「誤記だらけ」というのが解読のハードルの高さにもなりますね。

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (水曜日, 13 12月 2017 08:57)

    なるほど誤記など当たり前ですね。
    これでは邪馬台国がどこにあるか?ナンテのは
    いい加減の訳です。
    その代わり想像力が働き楽しみが倍ですね。
    それがあるから面白い。推測推論大いに結構。
    楽しいですね。

  • #2

    今井 一光 (水曜日, 13 12月 2017 17:49)

    ありがとうございます。
    医学系の学者でさえインチキ学説が出るくらいですから
    歴史学者が「新説」をバンバン出してくることもわかります。