一石が経済の基準 一人扶持と小島蕉園年表

勿論ロシアW杯対戦抽選会の中継は拝見しました。

当然横浜の「奥の墓道氏」とLINEでどうこう・・・この組、あの組と勝手な選り好みを言いながら・・・その結果を傍観していましたが・・・。途中から誰が見てもロシアかポーランドの組が立ち回りやすく、逆にフランス+ペルー+デンマークの組、ポルトガル+スペインの組、特にドイツ・メキシコ・スウェーデンの組に入れば「地獄」というか「即死」。その表現は悪いですが一般的に「死の組」といわれるグループですからね。

100%2位以内は望めない日本ビリ確定の組です。

 

日本は籤運については「残り物には福がある」の通り、最後に決定し、ポーランドの組に入ってこれは多くの皆さんは喜んでいるでしょうね。

直前に決まった韓国はドイツの組になってその「死の組」入りでしたし、オーストラリアはフランスの組でしたからまさに「天国と地獄」、コインの表裏のような結末でした。

 

日韓のその状況に両国マスコミ等の安堵と戦慄の声が聞こえてきますが、私の例によっての憎まれ口は・・・奥の墓道氏には「試合前からネガティブな事をいうな!!」との指摘はありますが・・・、ポーランド・コロンビア・セネガルに「勝てるの?」と言われれば「普通に難しいでしょ」というのが第一印象。

 

ちなみに初戦となるコロンビア戦は前大会1-4でボコボコにされました。「借りを返す」と勇ましい声が聞こえてきますが、他のポーランドもセネガルも日本との対戦で星を落とす事は考えていないでしょうね。

3つの国たちのは対戦前から日本戦との白星を計算し他の2国との戦いに主眼を置く事でしょう。

それが日本に於いてチャンスとなるのは唯一そういった相手の油断のみ。

ちなみに参考までにFIFAランキング55位の日本が入ったH組でいえば・・・

ポーランド7位、コロンビア13位、セネガル23位です。

よって、そう喜んでいる場合でもありませんね。

 

どうせ予選敗退するのであれば、対戦相手として優勝経験のあるなどFIFAランキング上位のスターチームと当たった方が見ごたえがある試合が楽しめるのですがねぇ(言い回し失礼!!ちょっぴりお相手が地味に感じたもので・・・)。

私としては韓国やオーストラリア、イランが羨ましくも感じます。W杯というガチンコ勝負の場で華々しく強い相手と戦って改めてこの世界の力量の差というものを見たいものでした。

 

さて、拙寺の「時鐘 御用」(こちらも、御林守御用)について再び。

「時鐘の御用を蒙り」の件ですがそれについて「一人扶持」を下さるその「切紙」を頂戴したとあります。

まずこの文書を見て、「コレ『二人扶持』じゃね?」という指摘があってその件叔父と再検討。

 

すると叔父はその筆者は一度「弐」を書こうとして訂正、上にある「蒙」に「ル」が付くのは前後文章から推測できるのでその「ル」を上書き、そして新たに「一」を記したということで合点したという次第。

この「一」が「弐」のパーツとしても不自然であるということもその判断材料です。

 

ということで「一人扶持」っていくら?

といえば基本「一人一日玄米5合で1年分」の「米」と言われています。

ここで現在の感覚を一掃するために記しますが、この「米」というのはおカネと一緒です。

要は「一人一日玄米5合で1年分の米」に換算したおカネですね。そこでこれからのことがありますので叔父が作成した換算表をこちらに記します。

 

①一石が経済の基準

               合         升          斗           石
1回に食べる米の量  一合  
1日に食べる米の量  三合   
1年に食べる米の量  千合   百升   十斗   一石

 

※千合・・・365✖3食だと1095合になってしまうので一合未満の食事は当然?。「一石は一人が一年間に食べる量」のこと。

 

②「一人扶持」は一日五合の手当の事。一年で一石八斗。

1日に食べる米の量  五合   
1月に食べる米の量   ✖30日 五升+一斗 (5✖30=150合)
1年に食べる米の量    (150合✖12) 八斗+一石 

                             一石八斗は1.8人が1年間で食べる量

 

③面積      合     石    面積

 

米の収量    一合          一坪

1年の米の収量  千合    一石    一反

 

④貨幣

 

一年に食べる米  千合   一石   一両  6~10万円

 

⑤一人が一年で食べる米

 食べる量 一石

 面積   一反

 貨幣   一両

 重さ   四十貫目

      150㎏

 

この一両6万円というのがだいたい通説のこの根拠ですが幅があるのは幕末に下るにしたがってインフレとなって米の価格が上がったためですね。

 

ということで、寺としては時鐘打ちを一人雇ったとしてもそこそこプラスになったということですね。時鐘撞きだけで一日分の日当を渡すとは思えませんから。

 

蕉園の年表各所に「扶持」の語が・・・

しかし「相良町誌」のあの紙面だけで結構に面白そうなことがわかりました。

尚、こちらが原本として拙寺に残っているということはやはり各所訂正の赤字やら追記の何やらは拙寺住職・・・祖父あたりによるものか。または他の原本が存在して誰かが写したものが拙寺にあるのか・・・

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コメント: 2
  • #1

    くりくり (日曜日, 03 12月 2017 22:26)

    コメの換算
    何となく知っていましたが
    合点がいきました
    現代人は1食で1合は厳しいですね

  • #2

    今井 一光 (日曜日, 03 12月 2017 23:36)

    ありがとうございます。
    質素で現代のような「大食い」など考えられない時代だったのでしょうね。
    時代劇でまるまる太った人が出てきたらウソでしょうね。

    そして換算は武家、公家等特別な階層のことでしょう。
    お百姓が三食しっかり食べられていたとは思えませんし・・・。