向学心が善知識値遇で医道に 曲直瀬道三 十念寺

狂気とも感じる米の統領さまと親族殺し他、狂人とも思える北の親分の口合戦にヤレヤレの感。

言葉の応酬に収拾がつかなくなっているようですが、もしかしてどちらか一方がホントに破滅を望んでいたり、自殺志願の傾向のある精神不安定状態の人だとしたら・・・などと考えるとそら恐ろしいですね。

 

言葉の交錯だけで「ミサイルなんて撃てやしない」などと思ってはいるもののその前提条件たるや「最低限まともなお頭」を持ち合わせていることですからね。

要は「駆け引きの為の台詞」であるなら黙認していられるのですが、どうやらお二人とも感ずるところ「まともじゃない」風ですから。ハチャメチャなのですよ。

 

たとえば医師に余命数か月などと宣告されたとしたら・・・心の弱い人なら自暴自棄になっても不思議はありません。

国民と周囲を巻き沿いにして破滅するという判断がされたとしたら・・・

まぁ昨日記した日本人の死に方~周囲に迷惑をかけない~への待望、「自分の葬儀は晴れがイイ」の考え方とは真逆になりますね。

 

こういう時こそ日本国のソーリ様は「私が戦争には絶対にさせない」くらいの意気込みで「北に行って交渉してきます」的発信をしてもらいたいものですがね。

それも口先だけでも構いませんよ。

お相手さんの反応を見たいものですが、いつも気にしているご自身の「支持率」を一気に上げるチャンスともなりましょう。

利害、度外視の「身を捨ててこそ」です。

みなさん方、過度な御身大切主義者なのか精神に破綻があるのかはよくわかりませんがイイ医者、アドバイザーは周囲に居ないのですかねぇ。

 

日本史上、名医と呼ばれる医者は各あります。

当地でいう名医とは当地田沼後の意気消沈の相良に活性を吹き込んだ代官で徳本流の小島蕉園がいますが先日記した、近江は栗太郡勝部村の佐々木氏流勝部氏(江州佐々木南北諸士帳 10 栗本郡に「勝部多宮」)の出身といわれる「曲直瀬道三」もその名医と数えられるうちの一人。

母親に関しては説として多賀氏目賀田氏(こちらも)出自を推測させますのでどちらも佐々木氏流です。

 

京都相国寺に入ったあと関東の足利学校に下りやはり日本の名医として名のある「田代三喜斎」に影響を受けて医の道に。

上洛してからは僧を捨て還俗。一気に著名な武将たち、皇族の引き合いを受けるようになります。

落語の「死神」ではありませんが、医者として人気が出れば莫大な利益と名声があがる時代でした。

尚落語「死神」では死神が言った「寿命だから(ローソクに喩える)手出し無用」(助けようにも助けられない)にはあらためて人の無常を感じました。

 

彼との関わりの中で一番の著名人としては織田信長ですが、ご褒美に蘭奢待を頂戴しています。コレはかなり気に入られたことのが推測できますね。

彼の「患者たち」の名を見れば蒼々たる顔ぶれですのでお調べいただければと。

 

小島蕉園はおカネのない庶民に施す医術でしたからやはり私の個人的に思う「名医」とは小島の方に軍配をあげます。

 

画像は十念寺の曲直瀬道三の墓。

「今大路」は後陽成天皇から賜った家号。