伊勢道から栗東インター 栗東の語源  灰塚山城? 

あのノロノロ迷走台風は結局九州と四国をかすめて和歌山県に上陸しました。

先般の朝倉市の被災から間もなくの台風ですから九州直撃だけはあまりにも気の毒。ほとんど絶望的なコースでしたが結果的に進路変更は悪くはなかったかも・・・と思ったところです。

 

拙寺にて7日開催予定の法要は順延の連絡があり、午前中には本堂閉鎖と植木鉢の退避作業を終了していました。

県内では竜巻注意報が出ていましたが、当地では運よく事なきを得たようです。

ただし県内各所で相次いで警報が出されて、各地での避難勧告・避難準備の報がありました。

それにしても締め切った本堂の中は異常な湿気と温度でうんざりするほど。早いところ風を通してあげたいものです。

 

さて、近江路を歩くにもその目的地によって高速道路の利用方法が変わってきます。よってコースと降りるインターについて「少々悩む」東海・東日本在住の人は多いのではないでしょうか。

それは毎度お馴染み、鈴鹿山脈と伊吹の間、「米原」が「近江の入口」というイメージが強すぎるからなのでしょうが、これは東海地区の人間の頭がどうしても東海道中心に考えてしまって、またこれまでの「名神高速」のコースが頭から離れないことが理由ですね。

 

ところが今は伊勢道、第2名神の選択肢があってお馴染み四日市付近の渋滞さえ無ければ大津・京都方面に向かうに30分の節約ができるというコースがあります。

地図と睨めっこをしていただければ一目瞭然なのですが、大津と米原の距離は結構あるのです。

東海在住の者としては大津も米原もお隣感覚にしか思えないところがありますのでそれも判断を間違える理由になっています。

 

よって私は最近の関西方面への自家用車行脚は少々の渋滞情報があったとしてもまず第2名神を突き進みます。勿論湖北に向かう場合は従来の名神高速、米原経由となります。

 

琵琶湖でも南部限定ですが私の使用頻度の高いインターチェンジといえば「栗東」です。これまで記したブログでいえばこちらの地図を見ていただければ・・・

 

そちらで降りてから北上しつつ出遭いを求めて走るというパターンですが、やはり前後不覚に陥ることもしばしば、先日はこちら栗東から入って伊勢道方向に帰る際、草津SAの看板を見て入ったのですが、大坂方面へしか戻ることができないというハメになりました。

自分のミスなのか掲示板がハッキリしないのかいったいどうなっているのかはわかりませんが私は成り行きで走って瀬田東まで出ててから高速道路に入りなおしました。

地図を見なおして考えればジャンクションを通り越していたということでしょう。あそこは理解しきれていません。複雑です。

 

今回の姉川の氾濫には驚きましたが2013年に関西地方を通過した台風18号で甚大な被害を被ったのが栗東市でした。

安養山の土砂崩れや「金勝川」という川の堤防が決壊したとのことですがその直角に川筋が曲がっている箇所の下流の「目川」という地が被災箇所といいます。

「目川池」なる池を囲うように「灰塚池」と変わった名の池の間を川は角度をつけて草津川に合流しています。

 

この今も残る流れの角度については疑問が湧きますね。

地形を見るうえで川筋を見ることは大事なことですが、歴史的に見て土木事業の一環で川の流れを変えることはしばしばありましたので・・・何か理由があるやも知れません。

 

その「灰塚」なる名称につい興味が湧きました。

少し上流の「灰塚橋」たもとに栗東市の出土文化センターなる施設がありましたので立ち寄ると、すでに「一般開放をしていません」状態で拝観不可能。残念でした。

こちらは安養寺山の西に突き出た丘で地元では「和田古墳公園」と呼ばれているとのこと。その山の名にも引き寄せられます。よって古墳時代の墓たちの間をブラついてみました。

 

この小さな山は「灰塚山城」とも呼ばれているようですがこちらについてはまったく不詳。

東海道を見下ろしかつ金勝川を堀に見立てた防御性の立地からして「まぁありうる」と思ったところです。

実際「登城」を試みればそれなりの遺構らしき塁など散見できるようですが、夏場ということでまたの機会にさせていただきました。まぁ今回は下見ということで。

 

「栗東」(旧栗太郡)というその字面。

「栗」とはなんぞや・・・と思っていましたが、これは文字通り「栗の大木」の事で、おそらくイメージとしては「鬼」伝説と同等かと思った次第です。

 

要は「中央」に刃向かう反対勢力を超人的なバケモノに喩えたという例でしょう。

そして鬼が退治されることと同様にこの栗の木は伐り倒されて焼かれてその「灰の塚」ができたというのでしょうか。言ってみれば同じ人間のことですね。

 

勝手な侵略と殺戮という現実を真実として後世に伝えるのではなく、オブラートに包み込んで伝承するやり方で日本の歴史に現れる例だと思います。

 

伝承詳細については京都新聞の「ふるさと昔語り」に「巨木伝説と灰塚山(栗東市)」がありましたのでそちらを確認してみてください。

 

画像最後の2枚を見てもわかりますが天井川になっています。

決壊したら「甚大な被害」のありさまは日本全国またぞろに見られますが、メンテナンス(堆積土砂の除去)を怠っての「想定外」の弁はどちらにおいても通じないでしょう。