伊賀は柘植郷の出自 柘植氏 増善寺 柘植正俊墓

昨日は浜岡の叔母さんから夕食のお誘いを受けました。

国会のお偉いさんの1フレーズ、「記憶が・・・」の語をまったく同じように連発するようになっていることはこちらとしても同じように慣れっこにはなっています。しかしさすがに近親者の叔母さんの方はケアしなくてはなりませんね。

 

今この「記憶違いと記憶の喪失」について現状維持させ、あるいはできれば改善させるには・・・と思っているところですが、「はっと」気づいたことがありました。

カレーがあるではありませんか・・・

 

私はここのところずっと夕食をカレーライスにしていましたが、昨日は奥方の恒例「何にする?」には「カレーうどん」とリクエストしていました。

少々違うカタチもイイかというところでしたが叔母さんの件もありまた叔母さんにカレーを食べてもらうに蕎麦屋は諦めてカレーライスのバリエーションが豊富の店へ。

 

叔母さんは長いこと①カレーは食べていなかった②おいしかったのでまた食べたい・・・といってくれましたので、これからは「叔母にもカレーだ」とその方向性はきまりました。

しかし「記憶にない」という「保身の嘘つき」はカレーを食しても治りませんね。

 

さて昨日の続きで増善寺。

松平勝政と勝忠の墓の近くにはあまりオーソドックスとはいえない少々大き目な五輪塔があります。

こちらは柘植正俊の墓になります。

柘植と記して「つげ」と読むとなどといえば蛇足でしょうが、この苗字の名乗りは案外少なくて、出自はだいたいハッキリしているようです。

それが三重県は伊賀の柘植郷(場所はこちら)で、名阪国道の亀山城から伊賀上野城の中間になります。松尾芭蕉もこの一流と聞きますね。

 

柘植正俊は一説に織田信治(信長の弟 宇佐山城~またはこちら~にて戦没)の子と言われています。よって主君は織田家その後秀吉→関ケ原東軍で家康・・・駿府にて病を得て亡くなったとのこと。柘植家は旗本を通し幕末まで家の継承という誉を得ています。

 

背の高い五輪塔でバランスが良さそうとは思えません。地震が多い静岡にあって、またそれほど地盤が良さそうとはいえない増善寺の傾斜地にありますが石材に大きな損傷が見えないということは案外地盤は強いか、積みなおし改修を繰り返しているかのどちらかでしょう。

 

⑤は伊賀上野城の芭蕉の句碑

「さまざまの 事をおもひ出す 桜かな」

⑥上野市駅ロータリーの芭蕉像。本日もかなり古い画像で失礼。桜がバックの五輪塔①~③が柘植正俊墓。④は増善寺参道。こちらの石塔のベストは断然氏親さんのものです。

 

カレーは家カレー(⑦一昨日)が一番です。バリエーションとトッピングを変えればまったく問題なし。⑧は叔母の奢り。