元あった佐藤兄弟十三重塔は鐘鋳町東 馬町に

イイ具合でお湿りがありましたが、気温は低め。

昼間は半袖シャツで過ごしていますが、朝夕の自宅内は勿論その上に着込んでいます。

油断をすれば風邪をひくこと必至。

未だ布団に入る時は首にタオルを巻いて休むようにしています。

 

ここのところやたらと火事のニュースが入っていましたが先日の西風が強い日、当地広報スピーカーからの火事発生のニュースと消防のサイレンはさすがに気がかりになって周囲を見回してしまいました。

サイレンで火災場所を伝えているのですが、よく聞き取れないのです。「建物火災」との報でしたので余計そわそわ。

それは昨年から結構大きな火災が続いていましたのであの車両があちこちから集まってどちらかに向かっている様子を感じるのはあまり気分がいいものではありませんね。

 

だいたい例年GWなど雨降りにあたることは珍しいことではありませんが、今回はまったく降らず、これにはおそれいりました。

おかげで各「桶屋」さんたち、ホクホクの状況がうかがえます。

 

さて、京都国立博物館の庭に双立する十三重塔がそもそもあった場所が「博物館近く」であったことを記しましたが、それが「馬町」です。まず立地状況から・・・

 

方広寺(またはこちらこちらも)裏(東側)の「大仏殿址」について記しましたが、そちらのみに向かうには東大路通側から直接入るのが正解です。

そのまま東山七条の交差点を右折して大仏前交差点をオーソドックスに方広寺に向かうのは博物館前の三十三間堂混雑に巻き込まれるのであまり面白くありませんから。

車両の場合は駐車場所を確保する必要がありますが、この地の「鐘鋳町」(かねいちょう)という意味深な街区を古の時を想像しながら歩を進めることは楽しいひと時でもあります(今は住宅地ですが)。

 

その「鐘鋳町」は東大路通の西にあたるわけですがその街区を東西に走るのが「渋谷通」(しぶたに) 渋谷街道)で東大路通のの東側の町名「下馬」「上馬」から「馬町通」とも呼ばれます(北に行けば清水寺、祇園)。

この馬町にかつてあの十三重塔があったことから「旧馬町十三重塔」と呼ばれたのでした。

 

その位置は馬町交差点から東に少々、北側歩道の路地を入った場所になりますが(場所はこちら)、狭いながらそのかつての場所を指定する空間があり、そちらには墓石や墓碑、祠が建てられています。

墓石は古そうな感じはしますが種類の違う五輪塔パーツを積んだだけのものですね。この場所はいたって狭小ではありますが、残存している理由がわかります。

 

佐藤兄弟の子孫といわれる佐藤政養が大切な「ご先祖の墓域」を買い上げて保存しようと試みたからですね。

佐藤政養は勝海舟門下で東海道線敷設に尽力した人で、碑文は海舟のもののようです。

 

かつての人々の往来の中、あの長身の塔が目前に直立していれば目立って印象に残ることは必定。あの名所図解の絵になったのでしょう。もっとも図会からすれば上層部の崩落はあって「高さ」の印象はそれほどでも・・・というところだったでしょう。

 

画像①②③花屋さんの路地を入ってスグ。

③の信号機交差点が馬町交差点。

上部最後の図はそのご近所の標石。

馬町の文字が見えます。