ムキになりすぎた豊臣方 方広寺鐘銘事件

ジャブ程度にちょっかいを出してみてとりあえず相手の様子

 

を窺おうという手法は余裕のある者の常套手段です。

 

常識的に見て、言いがかり、難癖と思うようなことをも投げか

 

けてみることは「どう出るか」大いに本音に近い深層心理も

 

出現する場合もありますし、ひょっとして墓穴を掘って自ら瓦

 

解してくれるとしたら、それに越したことはないですから。

 

 

しかし私は秀頼の方広寺開眼供養寸前に勃発した一般に

 

「家康の難癖」といわれる方広寺鐘銘事件は「ただの難癖」

 

とは言い切れないところがあると思います。いよいよ同情の

 

余地は無いのかとも・・・

 

 

そもそも「諱名」の概念が通じていない現代社会の私たち

 

のその耳にするニュアンスへの温度差、全然違います。

 

たかだか「家康」という将軍様の名を持ち出したくらいと感

 

じるかも知れませんがそれこそ「諱」であり「忌み名」。

 

家臣なるものが口に出すことも憚られる言葉です。それは歴

 

とした避諱ルールですからね。先般大河ドラマでも聞いたよ

 

うな気がしましたが間違っていたらごめんなさい。

 

そのときは「家康様」あるいは「信長様」などと聞こえたよ

 

うな・・・それは家臣たるものの最低限のルールでおそらく実際

 

なら首が飛びかねないような超失礼!にあたることです。

 

ブログでもどこかで記しましたが官位か上様か御屋形様が一

 

般的。その2字を分かち、分割、「安」なる、それがおめでたい

 

意味の字を入れたとしてもかなりのタブーで、暴挙であること

 

は違いなく、ぶち切れされたとしてもおかしいことではありま

 

せん。

 

しかし秀頼の力は後世徳川家に仇する可能性は捨てきれない

 

ものの関ヶ原以降の情勢世情からして既に勝負あったの感が

 

ありました。

 

そもそもあの鐘銘を書いたのは南禅寺の僧の清韓という人で

 

すからね。

 

豊臣家はただ「すみませ~ん」って丁寧に謝罪すしていれば

 

徳川家康としてはきっと「い~よぉ~」としか言いようがな

 

かったと思うのですが・・・その坊さんをかばってどうこうと

 

その正当性について御託を並べたことが大失策。

 

主君でも家臣に「真の名」は呼ばす与えた官位を率先して呼

 

ぶことがある中、「諱」を晒したとなればそれは最低限「臣下

 

扱いをするかそのような腹積もりである」という風を表して

 

いると解釈するのは当然です。

 

ケンカにならないケンカを買ったのは豊臣秀頼方でした。

 

まぁ一番に頑なだったのは母親の淀殿でしょうが。

 

本日は方広寺鐘楼を例の銘のある方とは裏側からの図を。

 

鐘はホンモノですが鐘楼自体は明治期の再建です。

 

実はこの駐車場に最後の大仏(4代目)があったようです。