ざっと見 敏満寺 そして  なぜか錆錆放置のSL

最近のお天気絶妙の日々、日課となった外仕事(ほとんどお遊びの部類)をちょいとこなしてからテレビを点けるとトーキョーの前知事さんが饒舌に。

質問者も煽てっぱなしでほとんどこちらもお遊びの感。

旧知の配下に煽てすかされて、きっとイイ気分でお帰りになったことでしょう。

 

以前も記したことがあったと思いますがお寺には色々な方が来られます。

先日は「これから名古屋まで行く」(もちろん歩いて・・・)という方が「1時間だけ仕事をさせて欲しい」と寺に訪れました。

その手の方々はよく来られますがこちらとしても雑用はいくらでもあって場合によっては1時間とはいわず1日でもOKなのですがその日はたまたま法事の前で、お付き合いできない状態。

仕方なく裏の墓地の笹の刈り込みと片づけをしていただきました。

 

私が暇な時に来ていただければいつもと同じような仕事の手伝いをしていただく事になりますが、うまくいきませんね。

ちなみに「1日仕事したい」という掛け声のもと来られた人は私と一緒に穴掘りと石垣の据え付けのハードなお仕事をお願いしたところ午前中でリタイアしていました。

また、「1週間ほど働かせて」と来られた方に梯子を使用した塗装を1日お願いし「2日目の明日は本堂の縁の下をお願いします」と言ったところもう二度と姿を現していません。

 

そんな中、「食べ物をください」のいわゆる「ノープライド」の方は1~2か月に一度のペースで来られますが、昨日いつもの方がやってきました。その方は中遠地区を大層な荷物を持って歩いているようです。掛川や菊川でも見かけたことがあります。

 

その方は当家「お方さま」に対しての絶大の敬意と思いますが「おかあさん」と呼んでいます。

そう呼ばれた本人は「気安く呼びやがって」とぶつぶつ言ってはいますが、その語にまんざらでもないようでその方用の「カップ麺」等をいつも用意していますね。

ところが私に対してはその方は全然対応が違います。

昨日は境内親鸞さんの銅像前で会いましたが、「今日は暖かいね」と私に一声かけてから玄関の方に向かっていました。

後輩にひと声かけるが如く・・・

 

帰り際にも私の前を通過しましたが今度は目も合わせずスルーですからね。

そのようなことはどうってことはありませんが、恰好も「らしくない」私はきっと「いつもの寺男」レベルにしか見られていないのだとここでまた苦笑されています。

 

この寺の「経営の本質」はやはり「そういうこと」なのでしょうからそれは致し方ないところですし私も「ノープライド」大好きです。

 

さて昨日に続き私のおすすめ「幻の寺、敏満寺」。というかこのところずっとですね。

本日は境内と周辺の構造物の画像をアップします。

今は「神社」のカテゴリーなのですがかつての「寺」の面影はざっと見ても十分感じることができます。

無理に神社にした感も・・・。

 

興味は最後の3枚の仏塔になりますが後ろから②の塔の無茶な重ねはイケませんね。

時代的にも惜しい感じはありますが、その不完全残欠はそれはそれで受け入れて欲しいところ。

なんでもかんでも積み重ねてしまうのではレゴと同じ。

石仏の前掛けも趣味悪し。どうかカンベンしてください。

 

多賀神社側にある駐車場の道路を隔てた区画になぜか錆だらけのSLが。これはまったく謎。バス停は「胡宮駐車場前」。

神と仏と蒸気機関車、青龍山の不思議(周辺地図)。

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (火曜日, 21 3月 2017 15:05)

    かわいそうな機関車ですね。
    買ったとき(もらったとき)はいいのだけども
    維持費はかかります。
    建物でも橋でも道路でも・・・
    なかなか考えつかなくても大切です。
    波津区でも区費をあげるとか、それはコミュニティー会館の維持費と
    改築のための資金だそうです。
    区民が納得するか知りませんが、大変ですね。
    この頃考えるのは不動産は無い方が身が軽くなるということ。
    高齢者になって固定資産税を年金で払うのは大変です。
    仕事をやめれば年金だけの収入です。
    アパート暮らしの方がいいなって思います。
    土地を牧之原市に寄付してもその方がいいよね。
    でも市でも断るとか。
    (税金が入らなくなるから。)
    どうしたらいいのでしょう。
    店舗の塗装と雨漏り防止等で昨年は700万円ほどかかりました。
    維持費って膨大です。 (泣き言です。)

  • #2

    今井一光 (火曜日, 21 3月 2017 16:59)

    ありがとうございます。
    人は少々自虐的でも自ら愚痴的なものを口にしまたは記したりして
    ストレスを発散させるものですね。
    釈迦も生老病死の現実に「愚痴った」かどうかはわかりませんが
    仏教はだいたいその手の悩みからスタートしたものでしょう(表に出しています・・・)。

    不動産の処分を自治体にまかせよう(寄付・遺贈)という案を耳にするようになりました。
    本当に色々なところで・・・
    そして自治体はまずそれは拒絶しますね。
    簡単に買い手がつかなくなった当地の不動産でもありますし
    固定資産税の「取っぱぐれ」がないようにです。

    右肩下がりの人口減少の打開策として、痛みはともないましょうが
    固定資産税の減額等かなり踏み込んだ優遇税制を思考しないと
    この状況を止めることはできないかも知れません。
    行政が一所懸命に生きて行こうという市民の応援をするという気概をもって
    いって欲しいですね。
    それにしても現実は厳しいことばかり。