寺と墓場の災いのベスト5の⑤   桶狭間七つ塚

牧之原市にMIJBC(メイドインジャパンバイチャイナ)なる語があるとは知りませんでした。

これは昨晩の通夜式にて紙屋さんからお聞きしたものです。

 

故人の逝去によって「灯が消えたように寂しくなる町内」から始まって徐々に市街は北の台地上、牧之原インター北にシフトしていく動きがあることから既成の住宅地と商店街は取り残されてしまうような焦燥感にも発展していることを含めて「すべての残念」についての会話でした。

そこにその「MIJBC」の語が出てきたワケです。

 

するとその一大開発に中国企業の資本投下を期待していると思うのは早合点かもしれませんが、おそらくその手の方向性も市の行政と人口の維持のための選択肢があるということかも知れません。これから牧之原市に中国語が飛び交う日が来るのでしょうかね。

つい拙寺の大晦日の「除夕の鐘」にそちらからの方々が大挙して鐘を衝きまくっている様子が脳裏をかすめました。

まぁそれもヨシですが。

 

息子は大学で第2外国語に中国語の選択をしていますが、「かなりつらい」とこぼしていますので将来の戦力になりそうもありません。

 

この辺りは私も実は同感で、私の場合はフランス語でしたが、今となっては先日記した「数学」と同様、全く「無意味な時間」であると吐き捨てたくなるほど惨憺たる成績でした。

まあ、適当に出席してギリで試験を受けてうまく過ごすということのできない愚息はその語学が頭痛のタネのようです。

 

「うまく」というか時として「ズルく」立ち回る力量に欠けています。まぁ人さまと同じ、普通の、まっとうなお頭を持ち合わせていればいいのですが。

その性質ははたして隔世遺伝なのか私からなのか、突然変異なのかはたまた当家「北の方」の家系の遺伝なのか、家中論議紛糾しています。当家の災いなりうるものは自然災害を除けば私自身と息子です。

 

駿府建穂寺敏満寺、またはこちらで「寺にとって思いがけぬ災難のベスト」を記しました。

 

1位 応仁文明の乱

2位 織田信長

3位 明治維新

4位 道路(高速道路)の建設

でしたが寺に付随あるいは単独に作られた「墓地」を含めて言えば

5位に「住宅」をあげなくてはなりません。

 

墓地に限定すればこの宅地開発というものはおそらく最も消滅する要因になりますね。

神奈川横浜地区に住んでいて、鎌倉から横浜金沢区にかけての墓地が次々とマンション開発その他住宅建築によって潰されている様子は以前ブログにても記した通りですが、その辺りの件はそちらに限ったことではありませんね。

 

墓場であろうが処刑場であろうが火葬場であろうが、片っ端から重機を入れて削平して綺麗な家々が立ち並んでいるところは日本全国またぞろですね。

それでいて「そういうこと」を気にしている人は多いような気もします。

「私ってその手の事を感じやすい人じゃあないですか?」などと振ってきますが「(そんなもん)知ら~ん」ですね。

 

私の方も「見えます 見えます」などとネガティブな事を言いながら全国歩きまわれば「一儲け」できるやも知れません。

あなたの家は古い墓の上に立っていて「その人」があなたの家族に「憑いている」などと言えば「コロっと」騙されるかも知れません。

 

それだけ忌避したいことであるならばもっとお墓を大切に扱っていただきたいというのが私の切なる願いなのですが、近年の経済という語に名を変えた儲け主義は「そんなもの・・・」とバシバシぶっ壊して開発、その歴史をなかったことにしてしまいます。あの伏見城も勿体なかったですね。

 

私はたとえそういう場所であったとしてもどうってことはありませんが結構に世間様では気にするところのよう。その辺りは業者さんは「知らぬがホトケ」を決め込むところでしょう。

 

さて、桶狭間の決戦場推測地は今でいう住宅街。

その「住宅地」での永禄三年の戦闘で、3500人の戦死者があったといわれています。

 

その一角に「七ツ塚」と呼ばれる場所がありますが、失礼ながら殆ど民家の裏庭と言っていい位置にあります(場所はこちら)。

 

信長の命により主に今川方の武将となるでしょうが、七箇所に墓穴を掘って戦死者を葬ったといわれています。このあたりに点在していたようですが、現在はこちら一か所にその痕跡らしきものが残っているだけです。