家康の幼少時代 駿府城東の華陽院  於富  源応尼

昨日の午後は久々焼津にて通夜法務。

私にとって焼津方面といえば地の利はないということと、真宗寺院の少ない地であって時間厳守と葬祭さんご担当の詰めその他もろもろに普段以上に気をつかうところでもあります。

 

特にご準備された「それ用」のグッズたちの中で必要不要について確認して翌日のお弔いに備えます。

不要なものとして用意されているのはたとえば、塔婆だったり、故人の胸元に置いてある守り刀の類と安全カミソリ、そして大きな「キン」ですね。

 

死出の旅路につきものの邪をはらう?のか何だか知りませんが、一昔前までは、当地でもよく見られましたが、私も大分顔を売ったせいか、さすがに塔婆と守り刀は出てきません。

特にまた他宗で使用する「キン」がまず親切に置かれていますが真宗で使用する平キン(ひらきん)に変更するためこの大小のセットは持参しています。

 

また御文箱は用意されていませんので、持参することは当然のこと。

私はここのところ通夜は三帖の四「大聖世尊」(少々長い・・・)、

葬儀式に続ける初七日の締めの御文が五帖の十六「白骨」を拝読していますのであのおハコの中に2冊重ねて持ち歩いています。

 

司会の方の打ち合わせの際に驚いたことは例の私の法要進行についての注意事項の記された書面を持っていたことです。

私がかつて関わった法要の式次第に注意事項の記された書面の画像をプリントしたものでした。

聞けば牧之原の同業の知り合いから添付送付してもらったとのこと。「わたくし的」には、「そう気をつかっていただかなくても・・・」という気持ちでやっていましたが、さすがプロですね、驚くほど詳細に観察されているようです。

 

斎場等での各御担当の私への平身低頭の姿は逆に「私は何者?」と疑問を感じてしまいますので、「ふむふむ あーしなさい こーしなさい」などとは却って反応することはできなくなって、こういう時はまず私は

「ボクも間違う事はいっぱいあるし、間が合わなかったり失敗したりしても全然OKでしょう おまかせします」と返すのみですね。

「ボク」・・・これは坊さんの自称としては違和感があるかもしれませんが私の癖といえばクセ。「如来の下僕」ということでもありますし(少々畏れ多いですが)。

 

帰宅後は日曜日の恒例「大河ドラマ」。

番組最後の「紹介コーナー」は静岡市内。当家の御台所さまは「なんだか浜松と静岡ばかり 知っているとこばかりだな・・・」などと贅沢な事を。

そんなことはあのドラマが決定した段階でわかっていたのですがね。劇中静岡県内主体であることは・・・

そのような放言は大河ドラマ誘致で頑張っている各地の歴史ファンから恨まれます。

 

その番組の締めのコーナーで紹介されていたのが静岡市内の殆どド真中といってもいい「静岡市鷹匠」の華陽院(場所はこちら)でした。

何といっても私どもは最近の静岡市内行脚といえば、知り合いのいる東急ハンズが中心で、いわゆる以前の新静岡センター、現在の「新静岡セノバ」の駐車場に車を入れます。

そのセノバの前を走る道(「伝馬町通り」に並行して走る)沿いにあります。「鷹匠」に「伝馬町」いかにも歴史を感じる町名ではありますが、今はビルばかりですね。

 

その鷹匠町の静鉄清水線の新静岡の次の駅、日吉町駅がありますが、その駅名と同じ日吉保育園の奥、線路側にそのお寺華陽院があります。

この寺名は竹千代(松平元信→元康→徳川家康)の母「於大」の母「於富」仏門に入った「源応尼」(要は家康のお婆さん)の法名から。やはり源応尼の墓があって以前当家の「北さま」(御台所)と参拝に行っていました。こちら周辺が今川時代の松平家の屋敷といわれます。

というと・・・あの家康の屋敷から孕石の屋敷に飛び込んできた鷹の話を思い起こします。ご近所さん同士であったことは間違いないですからね。

 

宗旨は浄土宗、「お気軽」感覚で参拝を勧める姿勢は嬉しいですね。「無量寿」の三文字が見える通りご本尊は阿弥陀様の座像でした。葵の御門が光っています。

 

宝篋印塔は隅飾りの立ち具合はまずまずの感。しかし相輪は欠損していて現在のものも当初のモノか不明。塔身部分も素材が違っていそうですし、バランスが悪いですね。基礎部分には華陽院とありました。