家康幼少の仇、孕石を思い出す 一休さんの粋

当流八代蓮如さんと臨済の一休さんとのご縁(約20歳の齢の差、蓮如さんが年下です)は門徒衆の語り草になっていて、特に親鸞聖人の二百回忌法要に一休さんが参列し、いくつかの歌を残していることはどこかで記しました。

(当ブログでの一休さん 

2012.06.19 06.25 07.25 07.26 2013.10.1)

 

辞世の句というものもそうですが、世に歴史に登場する人物の「句歌」は後世脚色されたり作り直されているものがあるので、一概にそうであると断定することできませんので、「うまいこと言うなぁ」くらいに合点していただければと思います。

 

一休さんの幾つかの有名な歌が残っていますが、一休さんらしい?かなりとんちが効いていて「ほうっ」と唸らせつつ、私にはこの歌を聞いていて即座に思い出してしまう人がいます。

歌は阿弥陀さんを歌ったものです。

 

「阿弥陀仏 みなみにあるを知らずして

              西に願うは はかなかりけり」

 

これは「南無阿弥陀仏」の「南無」、サンスクリットの「帰依します」という意である「ナモ」に漢字をあてたものですが、これはまず「南に無い」と書いていることを指摘しています。

 

我々は特に「極楽西方浄土」に日没無常偈でお馴染みである日の沈みゆく西方に浄土の存在を意識して生きていますが、本質的に「浄土は何処にあるか」の答えをここに歌っています。

この件は真宗的な「平生業成」という流儀をも示唆しているといえましょう。浄土の裏表の場所である「地獄」の場所も同様ですね。


その場所は、時間的に、死んでから行くものでは無く、生きている「今」であり、場所的には「私の身心(からだ)」の中にあるということです。

極楽も地獄も「私の頭」=「心」が考える事であり、場所の概念では無いということは古くから真宗で言われてきたことですね。


たとえば、妙好人の浅原才市の如く、明るく歓びに満ちた生活を送っていればそれこそがお浄土でありましょうし、人を妬み恨み嫌って心暗く親鸞さんの表現を借りれば「悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり」がいわゆる「地獄」。

どちらも「私の心身」にあるのでした。

 

そこでその一休さんの歌、「みなみにある」は実はこの「みなみ」とは・・・「皆身にある」と読むのが正解。

ヒントは平がなの「みなみ」だったのでした。

 

そこで思い出すのが家康の幼少、竹千代の頃、今川駿府の人質時代の仇、孕石主水元㤗(はらみいしもんどもとやす)切腹の際の問答です。高天神城に詰めていた孕石は家康方に捕縛され結局切腹の沙汰。その際、南に向かって切腹しようとした際、立会人に「切腹作法を知らない」と揶揄されたことから、孕石は「西方許に極楽は有りと思うか。あら胸狭きことや。何の極楽を嫌わんや」と。

 

その時、孕石の例として出した経典は法華経の一文だったようですが、当時、一休さんのその歌が孕石の耳に入っていたことも考えられます。

 

画像は高天神城の東、小笠川の近くにある「平塚刑場」①~⑥.と「千人塚」⑦⑧(場所はここ)。③の奥が高天神城。

たしかブログ既出再掲です。

「平塚」という地名はこの辺りにありませんので、高天神からみて平地にある塚ということで「平塚」でしょうか。