善男子善女人  おまかせ 阿弥陀如来  金剛輪寺

「善男子善女人」(阿弥陀経)、そして老若男女、大勢の方がお寺に集まっていただくことはありがたきことこのうえなし。

昨日は若いお嬢さんがお一人様で拙寺にお目見え。今回で2度目の登場でした。

当然の如くお調子にのってペラペラ余計なことまでおしやべり、私も楽しいひと時を過ごさせていただきました。

いちばん嬉しかったのは「ブログを見ている」でした。

 

聞くところ今年(・・・? スグ失念してしまいます・・・)、東京都内の超有名女子大を卒業されたとのことでした。

私の学生時代などはその学校の名を耳にしただけで「畏れ多くも」という気持ちが溢れ、半ば萎縮するような感覚になったものでした。合コンなどの企画も少なからずあったかも知れませんが、まず「ウチじゃあ相手にされないだろう」と二の足を踏んでいたような学校です。

 

ようやくこの齢になって「博識女史」と対等に会話ができるようになったものかとも思った次第。まぁ土俵が違いますからそこのところは何とか。

知識もそうですが、興味を持ったものにはとことん「耳を傾けて」自身が納得するまで確認する姿は敬服です。

なぁなぁで終わらない探求心は凄いです。

「英語もペラなのか」と思わせる学部を出ていて、深い知性を匂わせていました(青年海外協力隊に行きたかったとも・・・)。

 

昨日記しましたが私は学者クラスの「知」の深さに触れることに―あくまでもそれは体感で終わりますが―心地よさを感じるところがあります。

彼女との会話はいつもそれに準ずる楽しさというものがあります。

 

逆に私の大学の学部を聞かれて「法学部でゼミは憲法」などといえば「大いに興味がある分野」などと煽てあげられてますます調子にのってペラペラ。

 

大抵の場合坊さんに大学の学部を聞くということはそうはないシチュエーション(まずは仏教系で学部も仏教・・・)ですから、彼女の情報収集に対する感覚はちょっと違うと思わせました。

性格的に少々「おっちょこちょい」の躰を覗かせて、そこのところ好感が持てますが心配にもなります。

 

先日来られたときは「豚汁」をネタにお誘い(ナンパ?)いたしましたがピシっとお断りされてしまいました。

理由は・・・彼女はイスラム教との告白で驚かされました。

豚汁ではダメでしたね。

大晦日のイベントへのお誘いをしたのでした。

 

そこで単純な質問をしました。

「結婚したらどうするの?」です。私もズケズケと無意味な興味本位をぶつけます。

日本では男の方の家の宗旨に変えるというのが一般的ですからね。

すると「イスラムでは男の改宗はできるが、女はそれは無理。よってお相手に改宗してもらうことになる」でした。

 

これもまた結構な驚き。

「今時、時流と違って古風だね」と仏教の「女人禁制」等の我が国の一部宗旨の在り方も提示し、そのこと(男女均等社会の風潮に逆行)を指摘させていただきましたが、彼女はその宗教の伝統に関しては「大切である」と思っているし何ら違和感がないのでそれに従うと言っていました。

 

「本堂見る?」と誘って少々阿弥陀さんの許へ。

ゴールドに輝くお内陣を初めて見たのか痛く感心していました。「コレって全部ゴールド?」・・・新鮮です。

イスラムに偶像崇拝がナイことは知っていましたので、「ボクらは印象第一なのかカタチというものが大事です」(方便法身)と説いて例の印、「OK!OK!」の「おまかせ」「ありのまま」の心を。

 

この仏像の有無というものは仏教に関わる一つの伝統のようなもので日本の仏教には絶対なるつきものですからね。

 

それでは先日行った金剛輪寺の阿弥陀さん画像を。

ちなみに「金剛」とはダイヤモンドのことですね。

もちろん私ども真宗ではその「金剛」は「硬い信心」の比喩に使います。標記「善男子善女人」の「善」と勝手に解釈していますが・・・

 

また金剛輪寺のご本尊は聖観音菩薩(国宝)でそれは秘仏になっているようです。

「菩薩」(修行者)が本尊秘仏で非公開、そして「如来」(仏)が常時出現されているのは、阿弥陀さんが「ありふれた仏」として珍しくないこともありましょうが、「常時私の側にいらっしゃる」という意として解釈しています。

 

①「上品下生印」(来迎印)鎌倉期の阿弥陀如来坐像。

②「上品上生印」(弥陀定印)平安後期の阿弥陀如来坐像。

二つとも重文指定ですね。先般記した阿弥陀石仏と同様に舟形光背を背負っています。

③④重文の十一面観音像。伊吹山から北陸飛騨地方の山岳寺院に多く見かけます。盗仏裏社会では高値で売買される人気の仏さんと聞きます。

真言・天台の密教系寺院につきものの仏で、当然に創建も古いものが多いです。海外に売り払われてしまう例もあるようです。

 

⑤は新造の金剛界曼荼羅。

天台密教特有の曼荼羅で厳密には「金剛界八十一尊曼荼羅」と呼ぶそうです。元の画像はあの廃仏毀釈のドサクサで流出したしまったそう。それを再現創作したもので、何と言っても色がとても鮮やか。「天竺」を思わせます。

 

 

コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (月曜日, 19 12月 2016 09:22)

    へ~今時は変わった女性がいるもんですね。「変わった」では失礼ですね。
    大したもんだ。 住職のニヤニヤ顔が目に浮かびます。(テレビでもそうですが)
    やっと開かれたお寺に近づいたということですね。大いに結構ですね。
    ところで
    除夕の鐘は何時ごろまででしょうか。昨年は、もう片付けの最中で間に合いませんでした。

  • #2

    今井一光 (月曜日, 19 12月 2016 10:10)

    ありがとうございます。
    当日を迎えてみないとわからないというところですが、昨年よりは長引くのかな・・・
    と一同考えています。
    ロープで緊縛するのを最後の最後にして飛び入り対応を可能にしたいと思っています。