親を介護する身ではなく   介護される自身を

昨日も今年の本堂法要中体感温度の更新。不思議と外は風が吹いて清涼なのです。

法要が済んで外廊下を歩き出して数歩で元気を100%取り戻すことができました。

お斉ではお隣に着座された方に住居地を聞けば浜松は浜北区中瀬とのこと。聞き覚えが無かった地名で「天竜川」の連想と「液状化のイメージ」と勝手にいつもの決めつけての反応。

「よくないな・・・」と少々反省です。

 

以前行った岩水寺の近くと聞いて歴史話に発展しました。

その方はバイクでツーリング中に「城」を見かければまず立ち寄るそうです。

「来年は浜松は盛りあがりますね」(「井伊直虎」大河ドラマ)と振れば現在の「アレ」は「どうも好かん」との意見。

私や墓道氏も同意でしたので、心強い思いがしました。

「見ちゃぁ居られない」とも仰っていましたので私あたりよりもずっと時代劇への思い入れの深さを感じました。

 

時代考証は「当時の言葉使い、上下関係上の会話等もう少し気を使うべき」とも。時代考証についての難しさについて小和田先生の話になりましたので、今年11月13日(日)の勝間田小学校にて開催される先生の講演会を宣伝しておきました。

 

自宅に帰ってニュースを見ていて再び先の住所地、「浜北区中瀬」が耳に入ってきました。海外で事件に巻き込まれた方の出身地だとのこと。

 

 

さて、昨晩はNHKらしい番組を視聴しました。

まずそのように感じた場合は横浜の「奥の墓道氏」に連絡をするものですがやはり「ロクってる」ということでした。

かなり「重たすぎるテーマ」だと・・・それは「介護殺人」の件だからです。「私は家族を殺した」がタイトルでした。

強烈なタイトルのその番組の解説欄を見れば・・・

『いま、2週間に1度「介護殺人」が起きている。

加害者を取材し、なぜ一線を越えてしまうのかを探る、衝撃のドキュメント。

認知症の母親の命を奪った50代の男性は、日々汚物の処理をする中で、殺意を募らせていった。無職で逃げ場がなく、介護を始めて2か月で罪を犯していた。

老老介護の女性は「くたくたで頭が動かなくなり」介護3か月で夫の首を絞めた。突然始まる介護で、短期間のうちに殺人にまで至る、驚きの実態。」

 

アンケート調査によれば介護をしている相手に対して、「一緒に死にたい」「手にかけてしまいたい」と思ったことがある人が4人に1人に上っているともいいます。

特に痴呆になった家族に対する一人の介護者(たくさんの家族がいても介護する人はまず一人)の孤独感、社会からの阻害感は大きく、精神的に追い詰められるその状況を感じます。

 

痴呆であっても「介護度認定2」であれば、特養(特別養護老人ホーム)には入れませんからね。

そちらへの入所のメリットは絶大で少ない費用負担で長期入所ができることにあります。

 

私の知り合いにも介護のために仕事をやめた方がいます。

不謹慎とは思いますがそちらにさえ入ることができれば「自由」な生活が確保できるのです。

ところがその施設への入所待ちの人は40万とも60万とも。

財務大臣が「早く死んでくれ」風のことを口走る理由はそれですね。

 

「長生きについて考えてくれるな」ということを公然と語られてはこちらとしてもとことん皆さんの御長寿を応援して国に反抗してやりたいと思います。

長生きを応援すると「反日」と罵られる時代が来るかも知れません。

 

親が老いて信じられないような状態への変化を見れば誰もがショックを受け、覚悟を決めるものでしょうが、強がりを言って放言する輩に限って自分が老いてその状況さえわからなくなり、後に遺れる者たちの厄介になることについては気づかないでいるものです。

どちらにせよ御大臣等のお金持ちの人たちはそんなこと考える必要もなくまた、あの手の番組はハナから気にしないでしょう。

放送は興味本位のものではなく明らかに社会の歪みを突き付けています。

それを解消していこうとするのが政治というものです。