子供の防災教育の教科書 東京防災冊子 140円

仕入れて余分になった重機が「思わぬ高値で売れた」ということで「鰻をごちそうする」と知り合いから連絡がありました。

これはと思い、図々しくも朝は軽めの食事(ミックスジュース一杯)にして指定の場所へ馳せ参じました。

 

その店の最上級の鰻を久しぶりに味合わせていただきましたが大振り3切れもある二段お重の登場です。

若いころならいとも簡単に平らげることができましたが、今はとなると少々キツいものがありました。どちらでの会食、お斉でも同様ですが・・・

また「自腹」ではあれほど高価でボリュームのある食事はしないものです・・・。セコいですね。

 

「自腹」という言葉でいうと政治資金規正法はまったく「ザルだな」と思うところ。他人さまのそれも税金で「遊興」を暗黙「許そう」という法であることがわかりました。

 

思えば、子供の頃そのザルで小田原早川河口近くで「めんそっこ」(鰻の稚魚)が獲れたことも思い出しました。

それは子供たちにとって狙いの主はザリガニ等でしたのでそれらはまったくの無価値。世代、時代によってモノの価値感は変わるものです。

 

今相良地区ではその漁の許可証を持つ人たちの冬季場所取りの血眼の様子を目の当たりにしています(萩間川)。

余談ですが、鰻の稚魚の価格高騰は今のところは収まっていますが、これは実はたくさん獲れているのにもかかわらず希少品薄感を煽っての価格操作があるとも言われています。

 

しかし、その冬季の身を寒中に晒しての徹夜作業と、場所取り優先による車両内での寝食の継続は体を壊すことになって、この辺りでは「コレに没頭すると早死にする」とまで言われるようになりました。

聞くところによれば一晩で日によっては20万円にもなると聞きます。それを聞いて密漁者も出たりして鰻にまつわる人間の欲は食欲だけに留まりませんね。

 

要は昨日はこのうえない贅沢をさせていただいたのですが、この食事に際しても「念仏」は欠かせないものだと思いながら食させていただきます。

私は食べられている鰻がここからは遠い遠い大平洋のマリアナ海溝辺りで生まれてから時間をかけて海流に乗りながらも自力で日本の川にたどり着いたところ、たまたま人間に捕獲され、また色々な人間の手を経て成長し、この店に来たのは昨日あたりか。そこでこの鰻は一生を終えることになったのだなと。

 

それを私は味わせていただいて、「おいしい」とニッコリ微笑む。その対価を支払った知人への感謝は当然ですが、食をいただく際の念仏とは、「私に食べられているもの」への思い・・感謝だと思います。「おかげさま」の覚醒ですね。

その食物がどのようにして生まれ、生きようとしこの食卓にあがるにどのような経路、人の手を経て、そしてまた私の力となっていく「命の伝承」を思考します。

そこにまた、この機縁をセッティングしてくださった阿弥陀さまのはからいに感謝して「なんまんだぶ」と口に出てくるのです。勿論そこには生き物を殺して自らの命をつなぐという「気づき」が伴います。

これが座禅とはまったく違う「念佛メディテーション」のさわりの部分ですね。

 

「何だ!タダで御馳走を奢ってもらっただけじゃあないか」と仰られるでしょうが、それは全然関係ないですね。

どんな食事でもそのように考えながらゆっくりと噛みしめながら食事を摂ることは医学的にもお腹が満腹感を早く得て余計なカロリーの積み増しが少なくなると立証されています。

 

ということで昨日のお重はよりキツく感じたのでしょう。

昔はただガツガツと腹の中に放り込むのみのような食事でしたから。

 

さて、お誘いをいただいた方の息子さんは、スコットランドに留学しているそう。「心配ですね」との投げかけは、イギリスで起こった「ブリティッシュ・ファースト」という「非寛容・排斥」をモットー?とする団体を支持するといわれる人物によるテロ行為(女性議員殺害)があったからです。

その人はまったく心配などしていないそうですが、その事件は世界に嫌な感じ、恐怖を惹起しました。

 

先日も記しましたが「非寛容・排斥」は世界を徘徊するペストのような思想の如く感じます。蔓延している様にも。またそれは人を「怒り」に駆り立てるようです。

日本にもかつてはその手の動きは単独犯として散見されました。思想的というか短絡的なもの、いわゆる浪花節的ともいうのでしょうか、「義憤に駆られて」の文言が吐かれるタイプですね。

 

あってはならないこととはいえ、この「義憤」に関して、ひょっとしてあの「トーキョーの大統領」殿、ターゲットにされてもおかしくないでしょうね。その称号は「その国」の予算規模が中程度の国々の予算に匹敵する「国家並み」だからです(約13兆6500億円)。

まあそういった危惧も彼の場合、「身から出た錆」と一蹴されてしまいそうですが、彼の子供たちには気の毒なことです。

 

あの独特な名前は目立ちすぎます。

親の恥とはいえその名を名乗ることはかなりの度胸がいることになって若いうちから試練を味わうことになりそうですね。

実際に子供へのいじめがあったともあの「大統領殿」の口からありましたし・・・。

 

私はその後、安らかな必要最低限の生活を望むのであれば、退職金として支払われる金員は受領辞退した方がこれからの人生にとって「お得」になると思いますが・・・(トータルな損得勘定)

今や庶民レベルの義憤の対象に大いに成りうるレベルに達していると思います。それは歴史的に見て感じます。

 

どちらにしろ信用を完全に失ったことは「政治家」としての復帰の道は限りなくゼロに近いでしょうね(それがまっとうな人間の考え方で当人は再起を狙うのでしょうが・・・国民をコケにした政界特有の「禊」というやつがありますので)。

 

それもこれもすべて「身から出た錆」で済まされて、同情する人はいない様。「保身」(次の自らの選挙への心配)からの変更もあったようで、本来は助けてくれそうな人たちが消え失せてしまいました。まったく助け船がないという「四面楚歌」状態を地で行く姿は「哀れ」も感じました。

 

彼の「業績」かどうか不明ですがまぁ一番に評価されているのが標記、「東京防災」です。黄色いパッケージに同じ柄の本。ビニール(防水)カバーが掛けられています。

都民なら各家1冊ずつ無料、書店でも1冊140円の価格で売り出されて売り切れ続出の代物です。

地区別のマップ付きで内容も良くできていますが自治体が旗を振ってこの手の書物を発行したことは評価してあげてもいいですね。

内容は特に小中学生の教材として最適と思います。

ただ静岡で育った私たちとしては、ごく当たり前のことばかりですが、手元に各情報を収載した一冊を置いておくということは頼みになりますね。

これから他の自治体も真似ていくことでしょう。