見おろせば大井川 あらためて確認   牧之原台地

当山世話人のお役を長らくつとめられた方が先般亡くなりましたが年齢は数え九十歳。その年は大正十五年。たまたまその前に亡くなった方も同い年。

寂しくなりました。大正という時代もいよいよ耳にしなくなりそうです。

知らぬ間に明治生れという方も耳にしなくなってしばらく、時代の流れというものを感じます。

 

1年半ほど前からでしょうか何かと拙僧の法要の中「当地にお世話になるようになって八年」といった冒頭のご挨拶がいつものパターンでしたが、よ~く考えてみればずっと「八年」のままであるワケがありません。

そこで指を折ってあらためて数えてみれば何と「九年」が過ぎていました。

おつむの方はサッパリなうえに歳だけは重ねているようです。

石の上にも三年といわれますが、来年で十年となってしまいます。それでは、年をとったと感じるのも仕方ない・・・

 

秋の夜空のスーパームーンのまばゆいばかりの「真ん丸」の姿にしばし陶酔して家に入り、ざっとニュースに目を通せば、最高齢115歳(女性)の方が亡くなったとの記事。

計算はカンタン、今年が2015年ですから-115で西暦1900年明治三十三年生まれですね。

まだまだいらっしゃったのです明治生まれ。圧巻です。

 

その頃を想像すれば幕末に活躍していた人たちとまたぞろ「交錯」している時代です。

ちなみに牧之原周辺の名だたる人たちの亡くなった年を記すと・・・


德川慶喜1913年 徳川家達1940年 今井信郎1918年 中條金之助景昭1896年 大草高重1892年 勝海舟1899年 

高橋泥舟1903年 山岡鉄舟1888年 伊佐新次郎1891年

 

ということで牧之原台地、「金谷原開墾方」中條景昭の像の足元へ(場所はここ)。

大井川に背を向けて台地に睨みをきかすよう立っています。

 

碑にはたくさんの名が記されていますが、隊長の中條が率いた初倉谷口原と副長の大草が率いた同岡田原のメンバーについて画像拡大しました。

伊佐新次郎(こちらも)の名がありますね。中條の屋敷に転がり込んでいたようです。

 

こちら中條の像の近くには伊佐の記した石碑があり、彼を紹介する石版が添えられています。伊佐は「お吉」の方で名がありますが、「三舟」(海舟・鉄舟・泥舟)の書の先生だったといいますね。

この地から東に少々で伊佐の墓そちらから南方向の谷に下りれば今井信郎の屋敷(迂回が必要)があります。