さすがのスケール関ヶ原直近 美濃菩提山城 

美濃国岩手村(現在の岐阜県垂井町)の竹中陣屋明泉寺さんから見上げれば眼前にそびえる菩提山城(標高402m)は近江・美濃国境に鎮座する伊吹山系の南東に位置しています(場所はここ)。また航空図はこちら

その伊吹山と紀伊半島側から北に伸びる鈴鹿山系との間、江州米原へ繋がる狭い街道の入り口手前が関ヶ原です。「大軍はここを通る」というのが古来からの半ばお約束のような場所ですね。

 

菩提山城はその関ヶ原からは極近い場所に。大垣城(またはこちらも・・・「おあむ物語」)とを結ぶラインの中間の要衝ということになります。大きさもかなりのもので(主郭付近東西150m南北300m)標高も402mと高く、登攀はかなり難儀します。

 

もともとは天文年間土岐頼芸の時代に美濃国人岩手氏(当所地名「岩手」)の名が登場し美濃国内への江州からの侵入を防御する立場にあった城です(岩手山城)。

そこを半兵衛(重治)の父、竹中重元が永禄元年に岩手氏を追いやって大垣にかけての「福田」や「長松」という地をあわせて六千貫を領し翌永禄二年に菩提山に入ったと言われています。

 

よって防御性をふんだんに取り入れて、戦国城塞としてこの城を発展させたのは竹中2代父子の手によるということでしょう。

そして半兵衛の息子の重門が関ヶ原後に巨大な山城を捨てて、平地の陣屋に下りたということですね。

 

この菩提山周辺のクマの出没情報はかなりあって、すれ違う人とはごく少ないものの一同クマ除けのベルをぶら下げていました。

クマに関しての要注意エリア(湖西より湖東湖北がヤバい)でした。調子にのって山歩きしていればいつかはあ奴に遭遇するのではないかと一抹の不安は残りますが、それを気にしていれば山歩きはできなくなってしまいます。

 

大小の曲輪(7つ?)とその間に空堀、堀切、切岸に腰曲輪等の策平地を配して防御性を高めています。

しかしこの山の本曲輪に城主が通常時常駐していたとは考えられませんね。1度登って降りたら当分上りたくはなくなるでしょう。

 

登頂は車なら竹中陣場から田園の中を白山神社へ向かうのがベストだと思います。そちらには駐車スペースが数代分あります。もう一方は竹中氏菩提寺の禅幢寺の裏(八幡神社 画像④)からの登攀路ですが、こちらはよりなだらかながら時間を要すると聞きます。

私どもは初めての登攀で前者の白山神社側から上がりましたが、本曲輪辺りから禅幢寺側に降りてしまおうかと考えました。しかし、その誘惑はあとあと正反対の場所に車を取りに歩くことになりますので諦めました。よって次の機会に。以前はそんな冒険をしていましたが、最近は控えめになりました。

 

最後の画像の矢印あたりが明泉寺さん。明泉寺さんから見上げればこちらの旗差物をうかがうことができました。

それにしても「菩提山城」とはイカした名です。