扶持米とともに捨て置かれた「ジジ」

19日夕刻「ちょっと待ってくださいよ」というタイミングも無く気が付いたらガジュマルの木の下にネコが捨て置かれていてニャーニャー鳴いていたのには驚かされました。

18時頃には何も無かったのですが19時にはこの様。

 たまげたのは、ネコ+手作りネコの家(段ボール)+なみなみ水の入った洗面器+子ネコには有り余るほど(大盛り3皿)の御馳走+ざっと2000円相当の今ジャンボ・エン●ョーで買ってきたと言わんばかりの「ネコ扶持」が置いてありました。

これだけのものをセッティングするには滞留時間がかなりあったものと思いますがはっきり言って間隙を突かれ「やられました」の感。

家族内ではブログでネコについて物語する私の咎である事、寺住人のネコ可愛がりは以前より周知の事等の論争はありましたが、とにかく翌日の法事があったため大急ぎでこのセットを片付けてこの「御客人」を風呂場に案内した次第です。

 

夏生まれの「ジジ」(魔女の宅急便 仮名)はガリガリで小さいですが可愛いです。きっと雌だと思います。

しかし当家では居候。

写真と掲示板を門前に掲げて此の者の新しい奉公先を探すこととします。

古来、育てられない子供を門前に置いて寺の小僧として成長を期待することは耳にしますが、習慣化の恐れもあり迷い惑わされてしまいます。

 

 

 

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コメント: 4
  • #1

    小山昭治 (水曜日, 21 8月 2013 08:39)

    何事もほどほどがよろしいようで。
    お寺に行くと猫があちこちにうろついているのは
    いかがなものか。
    1匹2匹ぐらいなら良くても5匹6匹となると
    行きすぎでは。
    これから もっと増えると困りますよ。
    気をつけてください。2度あることは3度ある。

  • #2

    今井一光 (水曜日, 21 8月 2013 20:56)

    ありがとうございます。
    境内でうろついているネコ共は他家の斥候でしょう。
    家中のネコは引き籠りで外にはおりません。
    しかし人間の介護にこれから重点が移る中、もはや余裕は
    ありませんね。
    本日も外出から帰ったら暗がりから人が出てきて
    驚かされました。
    食べ物を求める人が寺には未だ訪れます。
    寺にに行けば何とかなるという(動物を捨てることも)発想は
    今時有り難いことですが、閉口させられることも多々ありますね。「はい食べ物を」と求められても予め用意していれわけでも無く、あたふたさせられます。

  • #3

    小山昭治 (木曜日, 22 8月 2013 08:54)

    え~ そんな人がいるんだ。びっくり。
    何かに書いてあったけど、そんな人が来たら
    ゴミ拾いなど、仕事をしてもらい
    しかるべく 食べ物を与える。施す。
    あるいは逆でも、 食べ物の後
    仕事をしてもらう。
    お寺と言うのはいろいろ望まれて大変ですね。
    その分 尊敬もされます。
    窮屈かもしれませんが、檀家としては
    そうあってもらいたいのが本質です。
    だって 最後は、お寺が頼りです。

  • #4

    今井一光 (月曜日, 26 8月 2013 06:49)

    ありがとうございます。
    うれしいお言葉です。
    泣き言をなるべく口にしないように
    すべてをおまかせするという気持ちで日々
    過ごしたいものです。