静岡市内一望絶景 徳願寺 北川殿

小和田先生のブログ記事が26日、更新されました。

「静岡古城研究会」の催したシンポジウムについて、徳願寺の裏山の徳願寺山城(仮称)の歴史的性格をめぐっての討論会だったそうです。

 

このお寺の裏山が城跡であったことはおそらく文献には出ていなかったのでしょう、その「静岡古城研究会」の会員さんが実地調査によりその遺構を発見したことからその城の具体的検証が始まっているようです。

要は①いつ②誰が③どういう目的でというものですね。

本格的調査と検証はこれからのようですね。

 

小和田先生の説は

「駿府を見おろすいい場所であることから、駿府の今川氏に敵対する勢力の築城と考え、(1)南北朝期の宗良親王らが安倍城に入った時期、(5)武田信玄が2回目に駿府を攻めたときというように、何度か使われたのではないか 」とのこと。

 

さて、徳願寺はその山の東面、安倍川の向こうの駿府を見下ろし、富士山が対面する場所にあります。場所はここ

階段を上がって山門を潜ると奥に続く参道の先にガチョウのいる池と本堂があります。勿論山門から本堂までは一直線、その駿府と富士山が窺える池の前に、北川殿の五輪塔が建ちます。

今川義忠の正室北川殿(→駿河阿部城)は相州小田原城から関東を治めた北条五代の祖、伊勢宗瑞(北条早雲)の姉さんです。そのあたりの経緯は焼津の小川城で記しています。

 

この日は富士山は雲に隠れましたが遠く、弟(早雲)の相模から関東制覇の足掛かりとなった伊豆半島が望めました。

 

下の画像は既出ですが遠州塩買坂、正林寺、北川殿ご主人の今川義忠の五輪塔と徳願寺境内のガチョウ。