墓じまいならぬ寺じまい 後鳥羽天皇 順徳天皇 大原陵

蚊対策をしてから境内作業。

植木いじりから始めて物置の整理を。

経年シロアリにやられ雨漏りが発生、そちらに置いてあったテントが水浸しになっていたことが判明したのが盂蘭盆会法要の前日でした。

その後ご門徒さんからプラ衣装ケースの提供を受けたわけですがその置き場所についてここ数日間検討していました。

テラス1階は満杯ですし2階は上げ下げが面倒。

ということで3ケース同時に移動可能の台車に載せて本堂裏に置くことにしました。本堂脇に製作したスロープが生きましたね。

 

夜間はNHKクロ現。

内容をざっと転記すれば「各地の寺や神社が不動産会社やブローカーなど国内外から狙われ、高値で取り引きされる事態が起きています。気がついたら建物や墓が取り壊されたり、納骨堂におさめていた遺骨が消えたり、住職が姿を消したり・・・。」

 

いろいろありますねぇ。

昨日の待合室の会話であった「お寺は大変」の言葉を思い出しました。

「住職が姿を消す」・・・いわゆる夜逃げですね。

何かやらかして(まずは経済的負債)こっそりと姿を消すなど、まさに以前あった民間のそれと同様で苦笑させられますが、他人事ではありません。

金貸しに返済を迫られて白紙委任状と実印・印鑑証明を渡して姿を消す。どなたでもありうることです。

そんなことがお寺や神社で起こるのですから酷く無茶な時代になったことは確か。

 

遺骨が消えてしまうなどの例もありました。

当地では知らないうちに墓地が開発者(石材店)の手に渡り新規に墓地開発が行われた例がありました。

先日そちらに墓碑があったという方の話を聞きました。

知らないうちに撤去開削されてしまったというものです。

私も当時その墓地の遺骨や墓碑の回収に赴いたことがありましたが、古い時代の墓碑すべてを把握できるはずもありません。

その方が業者に遺骨の回収の件を打診すると、そこにあった砂を遺骨の代わりにと渡されたとのこと。砂が遺骨・・・

しかしまぁ今思うにあの開発は少々無理があったかと・・・

 

扨、先日記した律側に架かる橋を三千院側から渡るとすぐ右側に宮内庁管理の墓域が。後鳥羽天皇・順徳天皇の大原陵です。

「承元の法難」で親鸞さん含む法然一流が散々な目に遭ったのでしたがその念仏停止・死罪・配流の差配をした後鳥羽天皇の陵墓が大原の勝林院(大原問答)の前にあるなんて・・・

法然がいよいよ専修念仏の隆盛を世間に示した地ですからね。

 

後鳥羽天皇(上皇)は承久の乱で隠岐に配流されて亡くなりその

恨みから怨霊になったなど世間の噂もある中こちらに埋葬されたといいます。

 

順徳天皇はやはり父の後鳥羽上皇とともに倒幕に失敗、佐渡に配流されてそちらで亡くなっています。

後鳥羽上皇は現在の如く皇位継承にあれこれと・・・その意味でもあまり評判が良くなかったそう。

現代はごちゃごちゃと後ろで糸を引いているのはただの政治屋さんですからよりタチが悪い。

 

私としては「承元の法難」のイメージがあまりにも強い方・・・