快晴のもと盂蘭盆会法要が修めることができました。
朝から動いていただいた世話人様方、有難うございました。
しかし時間の経過が早い。早すぎる・・・
正月が明けてからばたばたごたごたいろいろ、そして日々を漫然とすごしつつ、なんと次の機縁は「8月の法要」。それが終われば報恩講そして「除夕の鐘」とあっという間に1年が。
飛んでいくような思い。
久し振りにたくさんのご門徒さんとお会いしました。
そこでは転んだ、骨折した、認知症が進んだ、施設に入所しちゃった・・・などご自身や縁者のネガティブ極まりない話のオンパレードが。
生きている、長生きすることの辛さを再認識させられた次第ですが健康というものの維持がどれほど難しいものか・・・。
多くのショッキングな現実を知らされたわけですが、中でも脳梗塞を患ってから自宅療養していた方の件。たまたま奥さんが自宅の裏庭に出ていたところに電話がかかってきたそう。奥さんの耳には届きません、
日頃「電話には出なくていいよ」が了解事項だったとはいいます。しかしコールが長く続けば「出なくては!!」という思いが湧き出るものです。
その方はリハビリ中でありながら電話に出ようとベットから這い出たところ強く転倒してしまったと。
骨折にまでは至らなかったようですが、その電話の呼び出しについては、私も散々腹立たしい思いをしていますので大いに合点。境内でその呼び出し音を聞いて蹴躓きながらダッシュ、つい発信先も確認せずに出ればただのセールスか録音系。
怒り心頭とはこのことですね。
やはり電話に慌てて出るのは禁物です。
縁が無かったと思って思い切って「出ない」という割り切りも選択肢の一つ。
扨、大原の三千院の門の先、律川の未明橋の手前左側に、小奇麗なコーヒーショップがあります。良き香りに釣られて今度こそ入ってやろうなどと毎度閃くわけですが、何時行ってもそこには人だかりが。
ガラス越しにその様を見届けて毎度パスしていますがその店のお隣、律川沿いの竹藪に「鉈捨薮跡」なる標が。
転記すれば
「文治2(1186)年の大原寺 勝林院での法然上人の大原問答の折に、その弟子の熊谷直実は『師の法然上人が論議に敗れたなら法敵を討たん』との思いで袖に鉈を隠し持っておりました。
しかし、上人に諭されてその鉈をこの薮に投げ捨てたと言われています。」
専修念仏の法然対既成(南都北嶺)または他の宗旨のお歴々の集結する討論会がそれ。多勢に無勢の状況を察して熊谷が「その時はひとつ暴れてやろう」の意図を感じます。
勿論「その時」とは師の法然がボコボコにされるということですがそこに熊谷らしさを感じますね。
勿論、法然はこの問答で優位性を発揮しいよいよ以降の専修念仏の隆盛を極める要因となったといいます。
「有智・無智を論ぜず 持戒・破戒を選ばず
無漏無生の国に生まれて 永く不退を証すること
ただこれ浄土の一門 念仏の一行なり」
詳細は「大原問答」をググって頂ければ・・・
①の突き当りが勝林院、その左脇が宝泉院。④は律川。
⑤⑥はその反対方向から。左側が三千院。






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