晴れました。
この時節晴れて時間があれば誘惑に襲われます。
最近は晴れるのかグズルのか、あまり天気予報がアテになりません。ガチっとハッキリした晴れ間が欲しいものですが、これからの連休中は雨が多いとの予想です。
私の昨日は朝からの青空を見て「ここは一つ日帰りで岐阜」行脚を考えましたが結局もじもじしたあと、それはヤメにしました。
29日には法縁の予定がありましたので無理は禁物です。
目的地は1つですが、その地に行けば欲というものが大いに出てきますからね。
実は一昨日の月曜日に「そうだ岐阜へ行こう」などと思いついたのでしたが、危ないあぶない、その月曜日と言えばその目標の地、博物館は休館日でした。月曜日の罠ですね。
土日に気合を入れて法縁をやり遂げ「さあ、さあ~」とばかりについ浮かれてしまうわけで。
その目的地が岐阜は関市の岐阜県博物館。
4/24の中日新聞にて「教如の書状初公開」と報道されていました。内容は「織田信長はとんでもないヤツ」風のもの⑤。
天正10年6月の例の件について、明智の背後にいた者たちの謎めいた動きと各推測、数ある中、以前より少なからず本願寺も関わっていたのだろうというのが私の思うところですが(→善永寺)そんな中教如が信長をボロクソ非難しているという文書が出たとなれば目にしたくなるのは当然です。
一応真贋に関しても古文書の権威増田氏(日本書跡史)の評価を得ているようで、私のような考えを持つような者を喜ばすために後世作られた偽物ではないことは確かでとょう。
また機会があれば立ち寄ってみたいですね。
今になってもこのような書面がひょいっと顔を出してくるのでした。
私の生きている間にもまだまだあるような気がします。
あの事件で今現在、一番に「仕合わせ」を享受しているのは何を隠そう「私ども」なのでした。
これからの将来はわかりませんが、まぁ一応・・・
秀吉一派の一瞬、続く徳川15代も永劫継続が不可能でした。
本願寺は一時は滅亡寸前の「ギリ」まで追い込まれていたことを考えれば驚異的な生き残り。
野球で言えば9回ウラ2アウトから起死回生の逆転満塁ホームランみたいなものなのです。
それがタダの偶然だったなどとは思えません。
昨日午前も境内仕事少々。正面障子の端、下部に爪が掛けられないようネコストップ用に木材を加工して装着。
しばらくして見に行けば既に突破されたあとでした。
私の仕事とは、まさにそんなもの。爪がかからない素材を見つけなくては。
その際、史料館の長谷川氏から特別展のちらしが届けられました①②。しかしその「史料館の」は厳密にいえば「教育文化部 社会教育課」の「文化振興係長」。
新しい名刺をいただきました。
ただしそのような長い部署と役職、私には覚えられません。
これまで通り「史料館の」で。
③④は本山の夏休みの子供向けイベントのお誘い。
お寺に泊まるなど子供にとっては新鮮でしょうね。
拙寺ではムリかな?
⑤が教如の文書。中日新聞から。





コメントをお書きください