「五十岡」は伊賀丘 浅野文庫蔵諸国古城之図から

昨日は息子が24日の法縁のために前乗り、急きょホテルを予約して千葉方面に向かいました。

私の忠告・・・行き帰りの運転は昼間限定。

早朝に出立というのが彼の当初の主張でしたが、渋滞に巻き込まれることを想定しない甘ちょろさを罵りました。

特に一旦公道を走るとなれば世間と運命共同体の中の一部になることを「忘れるな!!」です。

 

またその日は関東南部にも降雪の予報があるくらい。

首都高などが凍結するなど目に見えています。

息子の「(早く出れば)自分は大丈夫」の躰には吐き気をもよおしましたね

前を走るトレーラーが事故もしくは立ち往生をしたなら後続車

たちは何らの非も無いのに無駄な時間と苦痛を強いられる・・・でした。

 

たまたま承った法縁が偶然にも悪天候の予想となったわけでその遅延に「渋滞につかまっちゃって」の理屈は通りませんからね。

そういう私も八王子の法縁でドタキャンをしたことがありました。それがあの3.11の翌日の異常な大渋滞と東電原発がブッ飛んだ日でした。

まぁ生きているといろいろなことがある。

息子も様々な体験からベストな対応の選択をしてくれることを期待します。

 

扨、先般は高天神城内の「伊賀曲輪」について記しました。

そちらではその存在については疑問ではあるものの「大須賀党の構成要員として『伊賀者が居ても不思議ではない』」とも記していました。

その大須賀康高率いた対高天神城戦の橋頭堡となる横須賀城築城の前に居たのが馬伏塚城

そちらの④の画像が「羽城」と言われるようになった地がうかがえるもの。「羽城」・・・「破城」と考えるとその特定についてはそれほどの意味はありませんが。

 

私は以前あの「五十岡」停車場のその名について、この前を通るときに奥方に「これはな・・・」とばかりにその伊賀についてさらっと講釈したことがあります。

その際は停留所の「IGOOKA」の文字を奥方が見て「IGAではない」(いい加減な事を・・・)と苦笑。

 

「その手の言葉の変遷、なまって発することなどはよくあることだ」と指摘を一蹴し、自宅に戻ってから「浅野文庫蔵諸国古城之図」(またはこちら こちら)を引き釣り出して「ほらね・・・」という具合に馬伏塚城の図を披露⑤⑥して黙らせました。

その書籍には各城跡の図が納められていますが、中には簡略な図やモノクロ多し。

しかしこの馬伏塚城の図はハッキリと描かれていて地名の記述は親切すぎるくらい。

 

その⑥図の東側に「伊賀丘」あるいは「伊賀丘 長者ヤシキ」の文字が。

「いがおか→いごお(お)か」の読みの変遷については了承するも 何故にして伊賀丘→五十岡に変える必要があったのか。

それについては詳細不明です

 

伊賀者が不在になって五十軒の家があったから・・・程度のことでしょうかね。

③④は五十岡公会堂。

停車場から緩めの丘②を上がるとそれに当たります。