銭瓶堂創始のいわれ 夏目権兵衛

連日の好天。

私も奥方もデスクワークからスタート。

礼状を記したり会計をまとめたり。煩雑な仕事も多い時節ですがとかくこの頃といえば喪中ハガキが舞いこむというのが定番です。

それらには何らの返信もしませんからただ放置していればいいのですが・・・やはり思う事といえば「まだまだアレの名残が残っている・・・」ですね。

 

私は年賀状といえば返信専門。

今年は私どもが看ていた叔母の逝去がありましたが「新年ご挨拶の辞退」などしていません。

父母の際も同様です。

その件こちらから報せる必要もないかと。

 

そもそも新年のご挨拶とやらをハガキで行うという習慣など、とうの昔にヤメていますから。

それは「歳を喰う」ことに腹が立つようになったから…でしょうか。いや既定のレールに乗せられるのが嫌いだから・・・かも。

ハガキ代もバカになりませんね。

 

まぁ一休骸骨とおなじ・・・「めでたくも何ともない」というのが一番か。

ただし届いたそれへの返信だけは怠ることなく・・・

その際、例の「おめでとう」にはただ「今年もよろしく」で返すことになりますね。

 

扨、小笠山や高天神城から派生する台地南のエンド、殆ど当時はいまよりずっと内陸側に海が迫っていたことでしょう(うばがふところ)、横須賀城と三井山砦を結ぶ街道に、興味深い伝承のある堂があります。

萩原峠から西に抜ける東大谷を流れる東大谷川の手前になります。

その名が銭瓶堂(場所はこちら)。

 

NHKのアニメから映画にまでなったタイトルに似ています。

その名の通り(銭瓶)のおはなしがあり、この辺りをそう呼んでいたとも。

そして当初この堂を建てた人が夏目権兵衛といいます。

ここ横須賀といえば大須賀康高が先ず思い浮かびますが、その出身は三河野場が推測されるところです。

そしてそちらはあの夏目三代の墓碑のある幸田の明善寺や彼らの城砦とも近くその夏目氏の系統であると想像を廻らすのでした。