私にはよくわからない世界でその都度、拙ブログに書き散らかしていることに「みてもらう」という語があります。
宗教的な解釈をすれば、シャーマン的呪術を催す方の指示を伺うといったことでしょうか。
それほど難しく考えず、ただ縁起を担ぐ程度のことかとも思いますが、案外と慎重さを感じ何か事を起こすときなどそれぞれお抱えの「その方」を訪ねるならいがあるようです。
どちらの地方にもその手の風習が存在するのでしょうが、当地に来てよく耳にするようになりました。神奈川、東京では聞いたことがありませんでしたから。
要は「親たちがそうしてきた」ことから受け継がれているスタンスなのでしょうが、私が理解不能に陥るところです。
特に「御先祖様が怒っている」と指摘されて私のところにやってきて法要等を依頼されるなど、唖然とさせられますし、何より私の気持ちもテンション低めになります。
真宗の教えにその手の意味不明は一切ありませんから真逆のものと捉えてしまいます。
「まったく関係ありませんよ」 (無碍の一道) と一言申し添えますが、私の言葉よりその呪術師の弁を大事にしているような気もします。
何でこうなったのだろう・・・それほど人の心は弱いのだろうか・・・否それほど自分に自信がない・・・。
あの韓国初の新興宗教(旧統一教会とやら)に国内浸潤され弱き人々を手玉に取り不幸のどん底に陥れることができる土壌がそもそもこの国にあったということですね。
政界へも大きく触手を伸ばし、また政治屋どもが票のとりまとめと自己の安定の為のみにそれらを利用したことは猛省しなければなりませんね。
今、完全にそれら相互依存のカタチが切れているのかどうか、存じませんが・・・怪しいものです。
私どもと同じ「信心」というものと一括りに解されるというのも腹立たしいことですし。
その「みてもらう」で先日爆笑させられた件を。
某建築関係の方が呆れて話されていました。
大口の建築計画が持ち上がり話を進めていると先方から「着工は3年後に」と急に告げられたそう。
理由を聞けば「ある人から3年待ちなさい」とのアドバイスがあったそう。要は「見てもらった」結果のよう。
私がニヤニヤしながら「そんでもって3年後まで(奴さん)生きてるつもりなの~? 」。
私はそれを言い放った後、腹がよじくれて笑い出してしまいました。
私の三年後・・・知らねぇやそんなこと・・・です。
明日をも知れぬ我が身です。命の事など分かりはしないのに。
人というものはノー天気、自身が生き延びる事に関しては特別に自信があるのですね。変てこな生き物です。
扨、高天神城の「横田甚五郎の抜け道」いわゆる「犬戻り猿戻り」ですが、伝承としては面白いです。
現在はその道の入口にあたる「馬場平」について実際に馬は居ず、ただの平らかな曲輪程度の意味だったということが記されていますが、まぁこの城の最上段で馬小屋がこちらにあったかについては何とも言えないところ(疑問の余地があります)。
しかし矢玉が飛んできそうもない場所といえばこちらですので、本当に戦闘から退避させたければ、この地も選択肢にあったかも知れません。
武田の躑躅ケ崎の馬場跡には馬の骨が出ていますが、発掘調査でその手の遺物がこちらで出てくればいろいろなことが判明できるのですが。
その馬場平から馬を引き連れてあの難渋な道を辿れるか・・・といえばまぁ「できないことはない」といったレベルかと。
伝承によれば家康はこの横田がこの道で逃走する場面を目撃し、家臣に「手出し無用」を告げたといいます。
あの状況下、その手の命令が統一されていたかどうかはこれまた疑問。
何故ならば家康はこの道の先、楞厳寺山まで横須賀側から視察に来ているほどで尾根続きの唯一の逃走経路として頭に入っていますので、この山の尾根や下山路に掃討の兵を配することは当然のことです。
それらがあの剣路で横田らを「どうぞ」とばかりにその通過を見守るワケがないのでは・・・と踏んでいます。
実際に高天神籠城兵の落ち武者狩りの兵を国安から横須賀に至る海岸線に配していたといいますからね。
また城内から放たれた降伏の矢文を拒否しているくらいですし。~全滅させて見殺しにした勝頼に恥をかかせる~
まぁ史実は不明、伝承にケチを付けたくなってしまうこれまたケチな私ですが、今の興味は昨日の岡部板倉の碑へ辿るこの横田の抜け道から下る分岐路について。
その追記看板には「楞厳寺山へも行けません」と記されてあり
ましたが、ということはこの甚五郎の抜け道の尾根からも岡部板倉の碑まで「行けない」ということ。
ということからその分岐点の看板⑧⑨にその掲示があるのかどうかという点が一つ頭の中に残っているワケで。
近々こちらの案内を依頼されている方たちがいらっしゃいますので私はそちらを通過することになります。
どうなっているか楽しみですね。まさか片手落ちなどないでしょう。
しかしこちらから岡部板倉の碑がある林の谷池に数十年前に「奥の墓道」氏と面白がって降りたことがありますが、酷い急坂悪路で立木伝いに下るような超難所。
もし案内通りにそこを下って「工事中、通行止め」で尾根道に戻らされるようなことがあればその怒りの矛先は・・・
①の堀切を下って上がると馬場平。⑥は尾根からの緩やかな斜面の竪堀か。断崖にはそれは不要。









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