東博内黒田家屋敷鬼瓦と池田屋敷門開門タイム

昨日朝方はお日さまが出て良好な出だし。

ところが日差しがあったのはそれっきりで終日曇天の一日でした。まぁ風も無くまた雨粒は落ちてきませんでしたからそれはそれでヨシ。

 

夕刻は本堂での通夜がありましたのでその準備。よって一層天気の件は気になりました。

当初その葬儀は「家族だけで~」の雰囲気でしたので会館「無碍」を会場の予定でしたが、やはりキャパの問題、「やはり本堂で」ということになりました。

故人は本通りでも古株、旧顔役、そして家族縁者も多くあって、花屋さんだけで三社が入っていました。よって久しぶりに堂内は豪奢な雰囲気で足の踏み場に難儀する始末。

 

お寺での葬儀は私どもとしてもやること数多でのんびりしている暇はありませんが、ホールの感じとは断然違います。大変ですが一言「悪くない」。

 

昨日ブログでは川嶋家文書について記しました。あの書面は昨日のNHKニュースにあったように紙を食べて繁殖するシミの食害と湿気によってボロボロでした。

ちなみにNHKでは外来種の一回り大きく(約1㎝) 、メスだけでも繁殖するという「ニュウハクシミ」について警鐘を鳴らしていました。今、全国的にそれが増えているそう。

古文書の貸し借りをタイミングに産み付けられた卵などから伝わっていくようですが、押し入れに入れっぱなしでなく定期的なチェックと防虫の心得は必要ですね。

 

あの古文書は巻物になっていて、後期相良藩の面々の名が綴られていたのでしたが、解読は「〇〇」が多かったよう私がそれを依頼した叔父は難儀したでしょう。

このまま放置するわけにもいかず、せめて「裏打ち」でもと見積もりをまた依頼したところ。

先日お邪魔した原の森の中のお屋敷にあった「まくり」にもシミが散見されました。

 

また「古文書はたくさん出てきたが父親が亡くなって母親がみんなうっちゃちゃった」(うっちゃる=捨てる)などの話よくある話で、「勿体ない」とは思うものの残せば残すためにコストはかかりますからね。

そのように「家」に残った女性(嫁)が家宝を家宝としての意義を感じず、処分してしまった話は多々あることです。

須々木の神社の旗差しに伊佐新次郎が記したことがあったそうですがN家にその筆が伝わっていたと。

それを奥さんがポイという具合に捨てちゃったという話もあれば八幡神社の中村家には田沼家から下賜された将軍家治が幼少時代に使っていたという木馬があったそうですが、大雨の日に「お婆さんが川に流して捨てた」といいますからね。

 

あまり大きい声では言えませんが・・・嫁って、女って・・・夫が健在だとしても無茶をやり、(夫に)やらせるものです。

まぁ私が死ねば殆どのものは打ち捨てられるのでしょうね。

 

よって古文書の修復維持のために私の小遣いを投入することに少しばかりの躊躇があります。

わたしが「それを遺すことに力を入れて何になる?」という疑問も。

 

画像は先日記した東博前屏風坂通の池田家江戸屋敷黒門ですが東博側からの図を今一度。開門する曜日がありました。

その隣には黒田家屋敷にあったといわれる鬼瓦が。

拙寺本堂のそれと同等の大きさ。

大きな屋敷だったことでしょう。

 

最後の画像は昨日本堂向かって右側の様。中央と左側にも生花スタンドが並びました。中央が開いているのは私の通り道。

葬儀社は地元でなく、国内大手の葬儀社でした。

よってスタッフは浜松・藤枝など遠方から出張っていました。