昨日は息子の役所への書類提出の件を記しましたが、私どもは叔母の件、いろいろのあと始末を。
亡夫の恩給から年金等の停止解約もそうですが、少額ではあるもののその残金について受取を申請するための書類集め。
叔母は子供がいないため、相続権の上位は私の叔父叔母たちになります。
よって私の相続権はナシに等しいのですが、奥方の差配でそれを再逆転しようというもの。
だれが叔母の介護の為に実際に動いていたか・・・ということになりますが(それは私ではなく奥方です)それを叔母がお世話になった施設に承認いただき、関係書面に署名いただくというものです。
そののち市役所で書類集め。結局は本籍のある御前崎市役所に行くことになりましたが。
ただの老人の死というもののあと始末ですが大事極まりなし。
ただしいずれの窓口での折衝は100%奥方です。
そして私は近くで待機しているのみ。
それはバカバカしい時間であるとは思いますが、実際の相続権者を私にするためのもの。
窓口で「ご本人は?」「本人でないとダメです」とそれを拒絶要件とされた場合の「待機」でした。
要は奥方に連行されて・・・ということ。
まだまだ続きそう。ああ面倒くさい・・・
夕刻には彦根から増田氏が彦根から御菓子の金亀を土産に再再訪されました。この金亀(こんき)とは彦根城の別名であの吉田城ちかくの岡村酒造(またはこちら)のお酒の名にもありました。
浜松龍潭寺で行われた命日法要(8月26日)にお参りしたあとこちらに足を伸ばしたとのこと。
近くの黄檗宗宝泉寺跡を案内、そして相良史料館1階の泥舟の落款がある扁額「天香閣主人(石坂周造)」を紹介してお別れしました。
大徳屋で一泊するとのこと。
画像は奥三河の道の駅したら。したらは「設楽」ですね。
外の人には読みにくいかも。
こちらの道の駅施設の裏側には豊川が流れていて足助の巴川同様夏の水遊びに賑やかになる場所。足助は名古屋圏になりますが。
「奥の墓道」氏と立ち寄った時の画像ですが、こちらの繁忙は夏が主体かと。位置的には昨日の名号碑の近くです。
ここまで山中入った場所の川遊びはさぞかし快適でしょうね。
河口付近の水質とは断然違うでしょう。
また塩でべたつくのと決して涼しくはない海岸よりも今の人たちは川、とくに清流への指向にあるかも。
この街道257号線に並行する豊川はどちらにおいても水がキレイです。
「道の駅したら」のウリは子供達とその筋のマニアのためにある旧豊橋鉄道 田口線 「モハ14」車両でしょうね。
ここに訪れる前にはそんな鉄道があったことなど知りませんでした。ウイキペディアにありました(→) 。
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