朝から雨。
奥方は「梅雨だから、しゃあない、しゃあない・・・」。
お参りの皆さんは「きっと来ないだろう」と踏んで本堂の閂を外したのが8時すぎ。
というのもネコが障子を破って堂内に入ることが復活。
ここのところ2度も正面突破を慣行され、挙句障子貼りをさせられることに。
しかし、戸を開けないわけにもいきませんのでまぁ、いつもの「その時はその時・・・」なのですが。
これはできるだけ障子を露出させる時間を少なくしたいというところ。しかしネコにはかないません。
これも「しゃあない、しゃあない」ですが。
前回の屋根修復後も数度に渡って庫裏の屋根を押し破られています。
昼も過ぎて少しすると雨がやみましたので奥方の買い物に付き合いました。
その後、陽光も差すほどに天気は回復しましたので境内作業をしばし。
そしてまた新たな問題の発生もあって・・・唖然立ち尽くし・・・頭が痛い。
扨、日本の国民一同、今頭が痛いというのは「米」でしょうね。
先般はある旧寺院出身の方から「米を分けて欲しい」という連絡が。
というのは昔の(それも大昔の)「寺の蔵には米が唸っている」といったイメージがあったのでしょう。
父が子供の頃の話、やはり蔵には米俵が山積みになっていたと。悪さをしてお仕置きに蔵に閉じ込められた際、その俵の米を「ぶちまけてやった」とその反抗の件を。
本山でも現在、冥加金の代わりに米を納められる場合がありますが一昔前は「年貢」という言葉もあってお米=おカネの感ありましたからね。
ただしその方の言う「米」は生産者から直接届いた米のこと。今でいう、問屋、卸、JAなどの中間業者の存在を無視した「お米」のこと。
要は「余っているお米があるなら少し分けて欲しい」というものでした。
切実なところを察知しましたが、時代が違うことと、現状「寺にもコメはない」ことを伝えました。
そんな折り、辛坊治郎氏が今の我が国の米騒動についての所感を語っていました。その方はハワイ在住とのことでそちらでのショップの米価格を紹介していました。
「日本産100%の米が5キロで2900円(1$145換算)」。
日本産米「こしひかり」5kgが19.99ドルで販売されており
「アメリカの人件費が日本の倍以上であることを考えると日本では、流通段階のどこかで誰かが大儲けしてるとしか思えない」と。
そんなことはうすうす承知しているところですがこの国内コメドタバタ劇は殆どは恥(shame)かもね。
「(何処かで)誰かが大儲け」なんぞと聞くと私はディーン・マ
ーチン の「Everybody loves somebody sometime~」なんて粋な曲を思いだしますが、その誰かって一体・・・
そういえば先般政治家さんが「米なんか買ったことない 売るほどある」と豪語されてクビを切られていましたが、案外それはただのバカっ話ではないような気もしないでもない。
ロスで始まったデモでもそのshame連呼の図を拝見しましたが、まぁ人間のやること全般恥ずかしいことばかりなのですね。
自分自身の恥を知らない私も結構にそんなものなのでしょうが、その私が思う相良の恥は(毎度毎度記していますが)海岸土塁上の松たちの無残な姿。
これを恥と思うか思わないか、やるべきことの優先順位下位のことで「しゃあないしゃあない」で済ますか、それを放置したままにして何も手を出さないでいるのか・・・私はその躊躇、放ったらかしの躰は「恥」と思いますがね。
一休さんが詠んだという「心」についての思い「松風の音」(「心とはいかなるものを言ふならん、墨絵に書きし松風の音」)も「末の松山」の松のイメージも無し。
当家は「御林守 御用」という件があるだけに殊にこの松の件は気になってしまいます。
④画像は富士宮市の富士山世界遺産センターで開かれている企画展のポスター。
期間中に立ち寄れればと頭に入れていましたがその機会は訪れませんでした。
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