柳生正木坂から打滝川沿いを歩く 蕉園渉筆の大公

朝から小雨が降り続く中、昼前に金谷からの見学者を連れて長谷川氏が。

その際、ついでということで昨日ブログで記した「一橋様~一位様」の件私の検討した内容を示しました。

といってもあの文書の中身は時間軸だけで考えると矛盾するところがありますのですべての想いが推測どまり。

確証を得るには至りません。長谷川氏も同等です。

ただしあの時代の江戸城界隈を見て「一位様」というのは限定的。普通に考えれば治済しかいません。

私は断定に近く「治済」と。

 

そして治済は晩年近く代官小島蕉園の時代に至って尚蕉園渉筆に登場するくらい相良治世に顔を出している雰囲気(品誕に大公は~・坂井の山崩れ)。

領内のことでもありますから、その記述(蕉園渉筆)に登場してくることは判りますが、相良ではあまり表にでてこない殿様一橋治済、拙寺の書面の件だけでなく意外なところで顔を出してきます。隠居してもバリバリ感が。

 

扨、画像は柳生打滝川を歩いた際の様。良き意味でこの自然の中

の田舎さ加減は私の心を和ませます。