柳生街道 摩利支天山 土葬葬送の生の目撃談

殆ど曇りに近い晴れ。

私は朝から法務の用意と一昨日の塗装作業の乾き具合を見てからの片付け作業を。

堂内は蒸し暑さを感じ墓参は蚊の襲来に閉口させられました。

 

法要ののちはお斎にご招待されてしばし歓談。

終了間近になった頃、奥様の実家について問うと「ここに居並ぶのが姉さんたち・・・」と紹介されました。

伺えば長女の方は滋賀から来ましたと。

遠江から近江に嫁入りしたのですね。私の思い込み、てっきり車での往来かと思いきや京都に出ての新幹線利用との事。

その地は私も詳しくなくはありませんので「滋賀のどちらから?」とさらにしつこく。

 

すると「どうせわからないだろう」という気持ちがあったかどうか知りませんが「高島から・・・琵琶湖のウラの方ですよ~」

でした。

高島といえば私が一時期ハマっていた近江の地、よって「あの メタセコイア並木の・・・」と反応。それよりも各城址(大溝城、清水山城、田中城ほか)に顔を出していますからね。

もっと早くその件を知っていれば盛り上がったはずでした。

 

興味深かったのは30年ほど前に高島での葬儀に初めて行った時の話。

それが棺桶タイプの棺での土葬葬送の衝撃です。

不謹慎ですがそのような生の声を聞くことは初めてですので興味深くそして楽しくお聞きしました。

私はその件承知していましたが、桶にご遺体を納める際、屈曲させるため硬直した遺体を「ボキボキと」音をたてて「畳む」ようにして(無理やり)押し込んだことの唖然。

30年前の高島辺りで土葬が継承されていたことを知ったのは収穫でした。

 

そこでまた、次のバスツアーの候補地の件閃きがありました。

私が鯖街道について話を振ると「その道から京都に出る」ことがある・・・

そういえばと、その会話の中で私が想いついたのが「大原」。

2日目東大谷に納骨後大原フリータイムを入れて大津から帰還するというもの。

ただし歩きも多し、余程の寺好きでないとあまり喜ばないかも。

また天候次第では地獄を味わうくらい・・・何もない野原のイメージ・・・

 

扨、その手の里山でもある柳生の里。

昨日の柳生八坂神社の先にやはり柳生家所縁の丘があります。

それが摩利支天山。

摩利支天石碑は復元品でしたが。