新しい生命体と接すると新たに知る事が多々あります。
昨日記した新人さんたちとその母親キイロシロの件です。
本来ならば母ネコともに確保したいところなのですがキイロシロは野良猫生活が長いせい、「人」への信頼感はまだまだ。
私には抱かれますが家の中への警戒心は尋常でなし。
一晩中境内で異様な声をあげていましたが、さすがに私の行った行為(子ネコたちの確保)が正しかったかのか疑問が湧きます。よって玄関脇の部屋に設置したケージまでご案内しました。
すると一日ぶりの再会に親子ともども感激、双方トーンアップした呼び合いとなりました。
その場を見た、奥方から制止させられましたが。
子ネコとキイロシロがケージのネットを引き裂かんばかりに爪をたてる様を見て私の行為は一体「悪」だったのか・・・とも。
キイロシロの母性本能には驚かされましたが、母親がいつ狂気と変貌し「子ネコを食い殺すかも・・・」と奥方が私を脅かしますので、気の毒とは思いつつ、彼女には退出してもらいました。
お乳の張り具合の感触から授乳させたいという気持ちは手に取るようにわかりましたが。
人の母であっても平チャラで赤ちゃんBOXに入れて別れを告げることなどよく耳にすること。
あの小さき者たちがそれほどまでの「親子」の濃厚な関係を求めつづけることなどは意外なことでした。
私はそれ、もっともっと淡白なものかと誤解していましたね。
そして彼女は一日中玄関脇に滞留しています。
ネコに「諸所の事情」など無いのですね。ただひたすら自分が産んだ子は自立できるまで育てる・・・という責任を感じました。
母ネコの本能なのですが、天晴れです。
人は「私の都合」によって「何でもできる」ということでしょうが(思い込み)、それこそ勝手な自己崇拝、高慢ちきな「私」というものを思います。
ネコたちの様を見て、1mmほど仏に近づかせていただいた気分。
有難し、六字。南無阿弥陀仏。
扨、以前又兵衛桜(またはこちら)を目的に宇陀市内を走りました。桜の丘の喧噪とは別、静かな野原の公園に行き当たりました。遠くから白馬の騎士が目に留まりました。
そちらが阿騎野の人麻呂公園(場所はこちら)です。
この白馬の像こそが柿本人麻呂。
この阿騎野という地が古代の狩場で軽皇子(文武天皇)にお供した柿本人麻呂が詠んだ歌について記されていました。
野原で野営しての明け方というシチュエーションということで。
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